チェルニー30番8 演奏解説

 チェルニー30番8を録音したので解説。
 8番は右手のスケールの練習。続く9番は左手のスケールの練習であり、8番と9番は対になっているので一緒に練習するといいんじゃないかと思う。そして、1曲置いて11番が再びスケールの練習となるが、こちらは速度が速いので8番、9番を終わらせてから練習したらよいと思う。
 楽譜はいつもどおり全音を使う。

リズムとフレーズについて
 左手は基本的に4分音符ごとに打鍵するようになっている。メトロノームに合わせて左手でリズムを取り、その上に右手を乗せる形になる。
 右手は32分音符8音を連桁して一つのフレーズを作っており、これが1拍となる。右手は多少速くてもフレーズごとに纏まっていて、リズムが取れていればそれほど悪くはならない。このことを考えると、ユニゾンのスケールで左右の手のズレを許さない30番よりもかなり弾きやすい曲だとも言える。右手のフレーズを速く弾きすぎると次の拍まで少し隙間が空いてしまうが、この隙間を埋めて急いで次の拍に進んでしまうよりも、いっそ隙間を開けてしまって正しいリズムで弾く方が曲としてよく聞こえる。

テンポについて
 4分音符で84bpmとなっている。結構速いけど、チェルニー30番全体を見渡すと、それほど無茶な速度というわけでもない。少し後の11番のスケールは、8番の1.2倍の速度を要求されるので、84bpmくらいは弾けないと話にならないのである。とは言ってもかなり速いことに変わりはないので、スケールを速く演奏するために小細工を要求されるわけである。

スケールについて
 スケールはチェルニーでは嫌になるくらい練習させられるわけだけど、その割になかなか上手くならない。
 基本は脱力して、不要な力を使わず、必要最小限の力だけで指を動かすということだけど、別にそれだけで速いスケールを弾けるようになるわけではない。
 上昇時の指くぐりも、下降時の指跨ぎも基本は肘を外側に向けることで予めポジション移動した先のキーに指が近くなるような手の形を作っておくことである。
上昇スケール
 例えば1小節目最初のフレーズのようにCDEFGAHCを12312345の指使いで取るとすると、

Eを3指で押した後、1指で2,3指の下をくぐってFを押すことになる。こんなに手間をかけていては時間がかかるのは自明であり、滑らかで粒の揃ったスケールになるわけがない。
 ではどうするかというと、打鍵直前のタイミングで既に1指がFキーの上にあればよいのである。スケール最初に1指でCを打鍵し、ついで2指でDを打鍵している時点で1指を離鍵し、Fに向かわせるのである。勿論、なかなか上手くはいかない。この指くぐりのタイミングに合わせて肘を右側に向け指先が左側を向くようにして、少しでも1指がFに近づけるようにするのである。Eを押している3指を軸に腕全体を回転させるような動きになる。
 あるいは、CDEと打鍵した直後に、急いで手全体のポジションを移動させて1指をFの上まで持ってくるポジション奏法という方法もある[1]。しかし、ポジション奏法は手全体を移動しなければならないため、一定以上の速度ではポジション移動の際に音が途切れてしまうので、この曲を速く弾く際にはお勧めできない。
 この2つの奏法は互いに対立する方法ではないので使用状況によって峻別する必要はなく、両者を組み合わせた方法で弾いても何ら問題はない。指くぐりに際して移動する1指などを妨げない手の形を作るという部分が本質となるのである。従って離鍵は速ければ速いほうが良い。
 指くぐりした後は、1から5指に向って順に打鍵する。これは手首の回転を使うと速くなる。
 これらの弾き方を意識しながらリズム変装を行うと弾けるようになってくる。リズム変装はパッセージを細かく分割することで上手く行っていない部分を明らかにしてくれるので、リズム変装で上手く行かない部分を集中的に練習することで効率よく演奏を身につけることが出来る。
 チェルニーは手首や腕を静かにあまり動かさずに弾くことを求めたそうで[2]、今でも手の甲に10円玉を乗せて演奏するとかいう曲芸を披露する人がいるそうだが、当時でさえ時代遅れだったのはリストやショパンの曲を見れば分かる通りである。チェルニーの練習曲なので、チェルニーの言葉に耳を傾けるのもアリなのかも知れないが、ただでさえテンポが早くて非現実的だとか言われているのに、そこから更に制限を加えてどうするつもりなのかと意見せざるを得ない。
下降スケール
 例えば9小節目最初のフレーズ。FEDCHAGFを54321321の指使いで取る。

 上昇スケールの逆の動きと言いたいところだけど、そうとは限らない。
 弾き初めの部分、54321の指使いで下降するのは手首の回転を利用する。これは上昇スケールと逆の動きとなる。続く指跨ぎが問題で、上昇スケールと何が異なるかというと、上昇スケールでは1指が2,3指の下をくぐるに際して2,3指を素早く離鍵して1指の通る空間を作るために指を上げる必要があった。一方、下降スケールでは3指が1指をまたぐ。上昇のときと同じように3指の動きを1指が妨げないようにしなければならない。
 ポジション奏法なら上昇スケールと全く逆の動きで弾けば良いのだが、上記の通り速度が出ない。
 そこで、1指の離鍵について、キーから指を上げるのではなく、指を手前に滑らせてキーの上からどかして離鍵すると、移動する3指を妨げていた1指がなくなるのでスムーズに指跨ぎが出来るわけである。よく「手前に引っ掻く動き」と表記している方法である。
  チェルニー先生はスケールの際の指くぐり、指跨ぎについて、親指と四本の指との交差は、どんなに速いパッセージでも、決して聞いている人に音の途切れや不揃いがわからないように、ごく自然に滑らかに、そして、何気なく行われなければなりません[3]と、無茶を言うでねえと反発せざるを得ないようなことをおっしゃってる。一方でショパン先生はというと、テンポを変えずに非常に速く音階を弾けば、誰も不揃いな音色に気づかないだろう[4]と大分違ったことを言っている。実際の所、チェルニーの言う通りにやっていてはいつまで経っても終わらないから常識的に考えたら適当な所で妥協するしかない。

譜読みについて
 この曲を指定のテンポで弾くなら、結局暗譜して手元を見て弾くことになるのだが、ゆっくり弾くなら楽譜を見ながら弾けばいい。その際、フレーズの変わり目で跳躍することが多い。跳躍の距離を楽譜に書いておくと、どれだけ手を開けばよいか分かるので早く進行できる。勿論、跳躍距離と手の開度は体で覚えておかなければならない。
 スケールの開始の音は基本的に左手の和音と関係があるので、譜読みの助けになると思う。

56小節

 *右手。345指の打鍵がぎこちなくなる。指の形というか長さが不均一なのが原因だけど、人類相手にそんな事を言っても始まらない。なぜかよく分からないが、345指で弾くときに指を伸ばすと上手くいくようになった。
 実際の所、この部分は指くぐりなどポジション移動がないので、十分に脱力して手首を回転させれば問題なく指定の速度に達することが出来る。すると、腕引用したショパン先生の言葉の通り、特に気になることもなく弾ける。

8, 20小節

 ※右手。4指は動きが鈍いため連打の速度が出ないことがある。グランドピアノならダブルエスケープメントを実装しているので打鍵後ハンマーが戻り切る前に再度キーを押しても音を出せるため4指の動きが十分でなくても引くことも可能だが、アップライトでは無理。グランドピアノであっても、4指を鍛えるのを厭うなら3指で弾いたって誰も気づいたりはしない。
 なお、3, 24小節は2,3指なのでただのトリルと変わらず、特に工夫もいらないと思う。

17小節

 ☆3-4指という順で弾くと3指は離鍵が遅れがちになる。というのは4指は隣りの指と腱、筋肉を共有している(腱間結合)ため逆の動きをしづらい構造になっているため、この形のスケールでは3指が離鍵で来ていないと指くぐりが難しく、だいたい指がもつれることになる。しかし、4指が動きづらいのは腱間結合のためだけではなく、筋肉を動かすように脳が発する信号が割と粗雑なため、正確に目標の指だけを動かすようになっていないかったりする。ピアニストは膨大な量の修練により脳から発せられる信号をより正確にし、また腱間結合を柔軟にしていくため独立した指を手に入れるのである[5]。なので、3指の離鍵を意識して練習すると、そのうち脳がその動きに馴致して思うように指を動かせるようになるんじゃないかな。

1820小節

 ※各小節最初の音は2音前に3指で押した音であり、3指が離鍵していなければ打鍵できない。確実に3指を離鍵しておくこと。

2122小節

 これまで1オクターブ程度のスケールだったのが、ここで2オクターブ以上に広がる。スケールの範囲が広がるということは、手首の回転による速度ボーナスが制限されるということ。つまり、ズルせずにちゃんとスケールを演奏しなければならない。
 速く弾くためにはどのような練習をしたらよいかということになる。しかし、闇雲に鍵盤に向かって速く指を動かしたり筋トレしたりする前に、どのような体の動かし方をしたら速く弾けるのかということをよく考えて、実際に鍵盤に指を乗せて考えた動きを追跡してみて可能かどうかを検証してからでなければ、頑張って練習したけど結局弾けなかったということになってしまう。
 スケールを速く弾くということについて、8番はこの2割増しの速度を要求される11番の後塵を拝していることを考えればあまり深刻に考えることはない。しかし、速いことに変わりはないので相応の工夫がいる。
 手のポジションは少し高い位置に置いて、2~5指は打鍵の際にはキーを真っ直ぐ押すのではなく指の付け根MP関節で指を曲げるようにして打鍵し、打鍵後は可能な限り速く離鍵する。指くぐり、指跨ぎは、右手の先の方を左側に少し傾けてやりやすいようにする。また、ポジション移動については、指くぐりのときにポジション移動するのでは静動が小刻みになりすぎていちいち対応しきれないので、一定の速度で左右に動くことになる。このポジション移動の速度はスケールの速度と同じでなければミスタッチになるので、最新の注意を払わなければならない。これができれば11番のスケールにも対応できるので、11番も指定の速度で弾きたいという変態的な趣味の方は是非とも身につける必要のある技術である。

25小節

 ☆右手。これまでスケールだったのが、ここだけ分散和音になっている。そのためミスタッチをしやすいのだが、打鍵する位置が不正確でミスタッチする場合と、使わない指が下がっていたせいで打鍵の際に余計なキーを押してしまう場合と2通りある。どうやってミスタッチしているかを分析してから、その部分を改めるべく練習しないと無駄な時間になってしまう。

参考文献
 [1]岳本恭治, ピアノ脱力奏法ガイドブック②《実践編/チェルニー30版を使って》p24, サーベル社(2015)
 [2]G・ヴェーマイヤー, カルル・チェルニーp228, 音楽之友社(1986)
 [3]カール・ツェルニー, 若き娘への手紙p12, 全音楽譜出版社(1984)
 [4]ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル, 弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学p54, 音楽之友社(2005)
 [5]古屋晋一, ピアニストの脳を科学する: 超絶技巧のメカニズムp187-189, 春秋社(2012)

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