神我狩 モノノケデータ集

 神我狩のシナリオを作る際に、モノノケのデータが見やすく一覧になってると便利なのになと思い、試しに作ってみた。
 モノノケデータというと最近出た神我狩 GMブック 神怪夜行に大量掲載されており非常によろしいのだけど、いつもの1ページあたり4種掲載する書き方なので、一覧性という点において満足できない。
 データを全て載せる訳にもいかないので全てのモノノケに共通してデータの存在する、名称、種別、レベル、サイズ、知能、感覚、会話、反応、知名度、弱点、歩行、命中、回避、発動、抵抗、判定、行動値、移動力、生命力、装甲、結界、武器攻撃を一覧にして、種別→レベルの順で並べることにした。
 ついでに、ボスデータとボスタレントも載せておいたけど、ボスタレントはイレギュラーな効果ばかりなので何を入力したらいいのか迷う。
 今のところ、モノノケデータは1つのシートにまとめてあるけど、量が増えてくると、種別ごとにシートを分けるようになるかもしれない。そこは、データを入力していって、その様子を見てきめる。
 ファイルは例によってTRPGのページに置いておく。

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チェルニー30番29 演奏解説

 29番は全曲を難易度順に並べたチェルニー30番 30の小さな物語で一番最後に配置されているので、30曲で一番難しいかと思われるけど、別にそんなことはなく、むしろ弾きやすい部類に感じる。
 全部で16小節しかなく、テンポも2分音符=100bpmなので非常に短い曲である。演奏時間の計算値も38秒と30曲中群を抜いて短い。
 いつも通り、楽譜は全音版を使う。

テンポ
 2分音符=100bpmは30曲中屈指の指定テンポである。2番が2分音符=108bpmで、1番が2分音符=100bpmというのがチェルニー30番最速の部類だが、1番と2番は3連符を基本としており2分音符1つの間に6音を弾くのに対し、この29番は2分音符の間に8音を弾くので、29番が最も速いといっても間違いない。
 この曲は4/4なので、4分音符=200bpmとしたくなるところだが、200bpmというのはあまりにも早すぎて認識が追いつかないので倍の2分音符=100bpmとしてある。これなら辛うじてリズムを取りながら演奏することも可能である。
 グリッサンドみたいな速度で演奏するが、実際のところ、普通にグリッサンドするよりも速い。グリッサンド16番で使うことができると以前説明したが、そのテンポは29番の半分の4分音符=100bpmである。29番は手を入れ替えることによって指くぐりを排したことにより指定の速度を達成できるようになっている。また、手首の回転を利用することも速く弾くことに貢献できる。
 ある程度速く弾くようになると、ミスタッチを抑えるために手元を見るのが効果的になる。その頃になると、ある程度暗譜も済んでるので手元を確認しながら演奏できるようになっていると思う。

練習の仕方
 この曲は、結局、速度を100bpmまで上げることが最大の難関である。もちろん、音の粒を揃えておきたいが、ショパンが言っていたよう[1]に非常に速く音階を弾けば、誰も不揃いな音色に気付かない。与えられた拍の中でのリズムの正確さの方が、個々の音の質的な正確さよりも優先されるのである。ただし、隣り合う2音が重なってしまうほどにタイミングがずれると流石に音が汚く聞こえてしまうので、その程度には気をつけなければならず、またそれ以上に正確なリズムを取ることに気を使わなければならない。
 基本的にスケールばかりなので、殆ど手元を見る必要もなく、覚えやすい作りになっているため、譜読みはかなり楽である。
 譜読みが終われば、速度を上げていく段階になる。速度を上げていく過程で無駄のない動きや、速く弾くための工夫を探すことになる。
 上りと下りで同じ速度にならない場合は、まだその速度で演奏できるようになっていないということなので、テンポを落として練習しなければならない。
 テンポのとり方だが、練習初期は4分音符=100bpmから徐々に上げていく。2分音符=50だとメトロノームの鳴る間隔が短すぎて上手くリズムを取れないので、4分音符=100bpmからスタートする。1日の練習のうちに徐々に速度を上げていくけど、翌日の練習はその続きのテンポからスタートできるわけもなく、無理なく演奏可能な速度で始めることになる。もしかしたら、前日の開始時と同じテンポとなるかもしれない。大体140~160bpmくらいでリズムを取るのが難しくなってくるのでその段階でメトロノームの数値を半分にしてリズムをとる基準を4分音符から2分音符へと変更する。最終的に100bpmで演奏できるようになれば完成となる。
 ちなみに、僕の場合は、1日に10回通して弾き、その際に悪い部分を抽出改善しつつそのテンポで合格だったら5bpm速くするようにしてテンポを上げた。結局、最後の方は90bpmから始めて100bpmまでテンポを上げて練習するというのが習わしとなっていた。

リズムの取り方

 拍ごとに左右の手を入れ替えるようになっていればよいのだけど、そんな都合の良い作りにはなっていないし、それでは練習にならない。拍を意識して、拍頭の音を少し強めに打鍵すると何となくリズムが取れる。テンポを上げていくと4拍を認識するのが難しくなってくるが、それでも拍頭のアクセントは意識した方が良い。
 例えば、1小節目の4拍目は最初のGだけ右手で、続くFEDは左手となっている。こういう部分でもちゃんとGにアクセントを置くことでリズム感が身に付いてくる。この部分、4拍目を始めから左手に受け渡して弾くこともできるが、そうすると1小節目の終わりから2小節目に入る部分で指使いが454と、動きの悪い4指を短い間隔で使わなければならなくなるので、むしろ難しくなる。
 左右の手の受け渡しは10番でも練習課題となっていたが、遥かにテンポの速い29番の方がより厳しいものとなっている。しかし、上に書いたように10番ほど精妙にタイミングを取る必要はない。

8小節

 ☆2拍目左手。この部分はコンパス弾きで攻略するのだが、最後のGを押す際にHを押していた3指をしっかりと上げておかないとGと一緒に3指がHに触れてしまう。

9小節

 ②右手から左手に受け渡す部分。右手が邪魔で左手を正しいポジションに持っていけなくならないように、最大限右手を引っ込める。できるだけ手を低く、左側に寄せる。

10小節
 ※後半右手トリルの部分。動きの悪い4指を使ったトリルなので、遅くなりがちである。ダブルエスケープメントを意識して、キーが半分くらい上がったところで次の打鍵モーションに入ることで速度に追従できる。
 トリルの後の下降。3指はトリル部分ではFisで、下降部分ではFとなり、打鍵するキーが異なる。指の位置を移動しなければならない。移動距離を短くするためにトリルのときのFisは出来るだけ手前の方で打鍵する。

参考文献
 [1]ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル, 弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学, 音楽之友社(2005)

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石川喜平

 先日、明治用水の関連の文書を書いていて、その調べ物でWikipediaを見たときに、明治用水(archive.today)の項に、明治川神社に石川喜平が祀られていると大嘘が書いてあった。
 Wikipediaの間違いを修正してやろうなんていう気は全くないので放置しておくのだけど、履歴を調べてみると20170510archive.today)のUnriped Lemonarchive.today)による編集で石川喜平が加えられている。
 それはそうと、現在Wikipediaには石川喜平の項目はない。普通にWikipediaを使わない方法で調べれば全く情報がないわけではないのだけど、折角なので明治用水百年史に書いてある内容をあげておこうと思う。
 なお、安城市高棚小学校に石川喜平の銅像(魚拓, InternetArchive)がある。

2. 石川喜平

芦池の村 高棚村に石川喜平きへいが生まれた天明8年(1788)に、矢作川の堤防が大雨のために決壊し、翌年も同じ水害が起きている。この頃は、全国的に襲った天明の飢饉が、何年も続いた不安な時代であった。
 高棚村あたりの碧海台地は、水害よりも日照りによる被害のほうが多かった。災害による農産物の減収が、年貢の現象になって藩の財政を圧迫していた。高棚村は刈谷藩の領地で、藩の切迫した財政難をしのぐため、翌年分の年貢を前納させる先納金が求められ、それが何年も続けられたので農民の不満は極限に達し、寛政2年(1790)ついに百姓一揆が起きた。
 高棚村は、米の生産高1000石に満たない小さな村であったが、80ヘクタールほどの広い溜池を持ち、水不足の心配は少なかった。けれども、60ヘクタール近い芦池あしいけという大きな溜池を挟んで隣接する野田村や半城土はじょうど村との間に、池の管理や境界をめぐって争いが絶えなかった。
 野田村や半城土村は、芦池の水のないところに生える草を必要とし、そこを開拓する新田を望んでいた。だから、堤防の高さによって池の面積は変化し、その高さが争いのもととなっていた。寛政12年(1800)都築弥厚が仲裁に入って協定が結ばれたものの、享和3年(1803)協定は破棄され、再び争いは続いた。こうした農民同士の闘いを、眼の当たりに見て育ったのが喜平であった。
 合歓木ねぶのき村(岡崎市)の和算家清水幸三郎は、文化1年(1804)桜井神社に算額を奉納した。新しい問題・算学修行を解き、それを板に書いて神社に奉納するのは、研究発表の場にもなっていた。
 喜平の屋敷跡は、今も喜平の血を引く2軒の農家が屋敷を構え、なお1軒分余りの空き地があって40アールほどの広さがある。現在の農家3戸分の広さの屋敷であったことから、かなりの地主階級の家柄であって、和算修行の経済的裏付けもあった。5年近くの修行の後、喜平は文化9年(1812)2月、神の前で誓った神文を師に捧げ、師の後を継ぐ師範の免許を受けるまでになった。
 吉田光由みつよしの『塵劫記じんこうき』が寛永4年(1627)に出ると、和算は急速に広まり進歩した。この本の内容は、珠算での割り算や掛け算の仕方を基礎にして、数の大小・量の単位・整数の性質・比例・案分・利息計算などから、級数平方根・立方根をも含んでいる。また図形では、幾何図形・相似形・勾配・面積・体積・測量などを具体的に取り扱っている。学問としての系統性こそまだ見られないが、当時の社会にあった親しみやすい優れたものであった。この『塵劫記』は、幾度の改定を経て、実質的にも江戸時代の和算普及に大きな役割を果たし、日本の数学を方向づけた。
 幕府を始め各藩では、土木工事や年貢などに必要な勘定型とか、治水工事の役人に数学の知識のあるものを登用するようになった。だから数学で一家をなそうとする者が現れ、そうした人々は一層専門的になり、実用からはなれた高度な数学を生むことになった。優れた和算家が新しい問題をいくつも世の和算家たちに問い、それを解いた和算家が、さらに新しい問題を世に問うといった遺題継承の習慣は、和算の進歩に大きな力をなし、中国の数学を凌ぐまでになっていた。その中心人物が関孝和せきたかかずであり、1700年頃には、関流和算が確固たる地位を占めた。
 ピタゴラスの定理・正多角形・円周率などの系統性のあるものも現れ、かなり複雑な計算、一次方程式・帰化図形は、和算の限界に近づいていた。天元術という算木を使う方程式の解法の発達も、少し複雑なものには無理があり、多元連立方程式の必要から、文字で表す筆算の工夫が要求され、点竄てんざんと呼ばれる和算独特の方法を考えだした。
 喜平が弟子に天元術を教えるために使った算木が、大量に残っている。長さ3センチばかりの割り箸を細くしたようなもので、一方は黒く塗って負の数を表し、もう一方は赤く塗って正の数を表す。この算木の並べ方で、加減乗除から平方根まで計算することができる。
 天元術と違い点竄術は筆算式であるため、係数ばかりでなく文字でもよかった。だから問題を解く場合、未知数をいくつも使い、その中の未知数を次々に消していって、最後に未知数一つの方程式を残すという方法が使われた。西洋の代数記号の便利さにはかなわないまでも点竄という記号を使った筆算台数が日本に生まれ、固有な和算として発展した。そして、関流和算が頂点に達していた頃、それを喜平が学んだのである。
 喜平の残した関流和算の写本だけでも、数十冊を数えることができる。『関流算法天元術』『関流算法図門』とか書かれた関流何々のものから『算法點竄』が数巻見られ、面積や体積、それに購買を扱ったもの、図形でも弧や弦にもふれた内容などを克明に写し書いたもの、また、版になって印刷されたものが本になっている。
 天文や暦の本も多い。『暦法日食推方』『平天儀図解全』など、暦術何々、とか、太陽何々とか書かれた写本が多い。石川喜平直頼なおより著、または改、と記された『太陽行度之率』『象限義弦九十度正弦余弦』など数冊もあった。
 和算家としての喜平は、天文学も習得していた。その上『渾発測量拠径術』なる書物を読んでいたことからも、測量学にも深く立ち入っていたことであろう。この知識と技術が、用水路計画測量に力となって働いたことは言うまでもない。
 喜平が師範となった文化9年(1812)、和泉村の弥厚は根崎の代官職に付き、大きな夢を実行に移そうとしていた。
都築弥厚との出会い 刈谷藩での百姓一揆の例もあって、農民の先納金拒否の訴えは強く、ようやく幕府権力の衰えの中にあって、農民の要求を頭から押さえることはできなかった。そこで村役人や庄屋を通じて話し合い、妥協していくことになる。村役人には、農民の事情に通じた有力者や人望化を登用した。
 喜平は、刈谷藩から役人として登用を望まれながら、それを拒否したと伝えられている。役人に登用された民間人の給料は安く、地位も低く、何の魅力も感じなかったのであろうか。それとも純粋な学者であり、近辺で尊敬され、多くの弟子を教えたり、好きな学問をすることに満足していたとも考えられる。
 喜平と対象的なのが弥厚であった。芦池論争を始め、多くの村と村との争いに仲介役として活躍したり、財政に給した刈谷藩に大金を貸したり、多量の米の取引をしたりしていた。藩の権力と結びついて事業を成り立たせていた弥厚は、やがて根崎代官所の役人となり、大地主・大商人として、弥厚一族の力を一層大きくしていった。
 大酒造家・大地主の発想から生まれた新開計画も、用水路の開削を伴うものであったため、喜平の頭脳が頼りになった。弥厚は、事業家としての手腕と代官職としての政治的背景を持ち、用水路計画実現のための科学的裏付けと、技術的裏付けを喜平に求めた。だから、弥厚の財力と政治力、喜平の科学技術の力は、用水路計画の表裏一体となることを、二人は互いに理解していたであろうし、どちらの一方が欠けても、この計画は動き出すことはなかった。
 喜平は科学的裏付けを重視することからも、この計画の困難さを十分予測していたであろうし、弥厚も、たとえその手腕と財力を持ってしても、容易でないことは承知していたであろう。けれど積極的な弥厚は、難事業ではあるが可能性十分な計画であるとの自信を持っていたと考えられる。そこで、弥厚は喜平を説得することになり、立場の異なる二人の議論は容易にまとまらなかったが、弥厚の説得に喜平の心は動き、測量を承諾する。このとき弥厚は既に60歳に近く、喜平は30代なかばの働き盛りになっていた。伊能忠敬の日本地図が完成した頃である。新しい測量技術は、日本地図を書き換えさせたばかりか、用水路の開削を可能にしたと言える。
測量の困難 用水路計画の測量に出かける喜平は、いつも村人の目を避けていた。高棚村の農民たちは用水路計画に反対していたからである。
 平らに見える碧海台地は、いたる所に小さな谷あり川ありの野林原野が多く、村によって田畑の灌漑の状態や事情が異なっていた。台地の田畑は、井戸や溜池の水を使っていたが、不足がちであった。谷間沿いにある古田は、湧き出る泉谷小川の水を利用できるところに分布していた。また、海岸に近いところや矢作川に近い低みにある田は、水不足よりも大雨による水害を恐れていた。油ヶ淵あぶらがふち周辺では、田の排水をいかにするかが問題になっていた。
 いくつかの村が喜平の測量を妨害した。高棚村には、これを実証する記録こそないが、喜平がこっそり隠れて測量に出かけねばならなかったのは事実で、その背景には、芦池があるために、他から水を必要としない村の事情があった。用水路としての水路ならば、必要ないというのが村の言い分であった。当初の計画では用水路の末端を油ヶ淵に落とすものであったが、地元農民の激しい反対にあって、計画変更を余儀なくされることになった。そうすると、高棚村あたりを通り、衣が裏へ落とすことになるのではないかと懸念されるようになり、ますます反対の立場で結束していく。水量調整という技術的な面で、利用される可能性があったからである。奇しくも、今の明治用水が実現するときも、全く同じ反対が起こっている。学者として村人の尊敬を受けながら、その村人にまで極秘にして測量を続けた喜平は、よほどの決意と自身があったのだろう。
 喜平の学問と技術の優秀さを実証したのは、弟子の石川浅右衛門(通称浅吉)の働きがある。彼は土木建築請負の棟梁であったが、前浜新田の堤防が台風によって破壊されたとき、その復旧工事のための測量で、技術の優秀さが認められている。その喜平の測量技術を認め、用水路計画に活かそうとしたのは弥厚である。弥厚の膨大な計画に不安を持ちながらも、喜平は、全能力を注ぎ込んでいったものと考えられる。高棚村農民の反対する理由を十分承知しながら、あえて弥厚の計画に参加した喜平の心の中には、測量技術の自信からくる確かな希望があったからであろう。
 幼稚な測量器具で書かれた用水路測量図が、現在も高く評価されるのは、喜平の測量知識と技術がかなり高度なものであったことを示している。弥厚の用水路計画は、石川喜平直頼という学者の力によって、実現への第一歩を踏み出していく。文政9年(1826)に5年近くを費やした測量は完了する。
教育者喜平 清水幸三郎林直を継いで、和算の師範となった石川喜平直頼は、自分の代の市販に、林直の孫を育て上げている。当時の和算家は、数学的なものを中心にして、測量・天文・暦なども会得し博学であった。
 喜平の弟子には、いろいろな階級のものがいた。寺子屋の筆子のように、読み書きそろばんを習う農民の子弟から、浅吉のような大工職人、商人、学問好きな者など、それに岡崎や刈谷あたりの武士も教えを受けていた。『朔月ノ術録』と表記されたものの中に、門人石川重蔵、石川利□、神谷庄助、岡崎御家中中供□殿、吉良銀次、生田茂之助、その他数人の門人が記録されている。
 喜平が克明に計算し続けたものに暦がある。潮の干満、太陽の方向と自国など、長い間の記録があり、全て計算によって出している。天文は最も得意だったらしく、弟子への説明用であろうか、ノートに書かれた図表や説明文に並べて、月と太陽の形を切り抜いたものが貼り付けてある。しかも、その月と太陽が回転するように工夫してあり、その距離を示す紙テープも付けてある。竹ひごと紙で作った天球を表す模型とか、星座盤と満干潮や日の出・日の入り・月の動きなどを組み込んだ模型などの、立体的な教具をも使っていた。
 晩年は生きるために畑を耕し、教える楽しさと、学問する喜びに浸ることが、喜平の最高の楽しみだったと思える。今も伝えられる喜平のいくつかの逸話が、それをよく表現している。そうした学者として、教育者としての姿に感動し、その学問の深さに畏敬の念を持った多くの弟子たちによって建立された墓碑は、今も立派に立っている。文久2年(1862)75歳で、高棚村の土となった。
石川喜平 年譜 天明8年(1788)高棚村に生まれる
享和3年(1803)伊能忠敬三河尾張を測量
文化1年(1804)清水幸三郎、算額を桜井神社に奉納
文化4年(1807)喜平、和算の師清水幸三郎に入門
文化5年(1808)石川浅右衛門(喜平の弟子)生まれる
文化9年(1812)和算師範の免許を受ける
文政4年(1821)伊能忠敬『大日本沿海興地全図』完成
文政5年(1822)仙右衛門とともに用水路の測量開始、同9年測量おわる
文久2年(1862)75歳で没す
昭和48年12月高棚小学校校庭に胸像が建てられる


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教育職員免許法(失効・取上げ関係条文)

 官報を読んでいると、時々教員免許状失効公告が載ってる。
 何らかの理由で教員免許が失効したお知らせ何だけど、例えば2019年10月11日(DL)には次の様に書いてある。

 教育職員免許法(昭和24年法律第147号)第10条第1項の規定により、次の免許状は執行した。
 令和元年10月11日 群馬県教育委員会
1 失効した免許状
 (1) 指名及び本籍地 町田 一男、群馬県
 (2) 免許状の種類(教科)、番号、授与年月日、授与権者

―中略―

2 失効年月日 令和元年9月17日
3 失効の事由
  教育職員免許法第10条第1項第2号該当

 失効の事由に「教育職員免許法第10条第1項第2号該当」とある。
 教育職員免許法第10条はe-GOV(最終更新: 平成二十九年五月三十一日公布(平成二十九年法律第四十一号)改正(魚拓archive.today))によると、

(失効)
第十条 免許状を有する者が、次の各号のいずれかに該当する場合には、その免許状はその効力を失う。
一 第五条第一項第三号、第四号又は第七号に該当するに至つたとき。
二 公立学校の教員であつて懲戒免職の処分を受けたとき。
三 公立学校の教員(地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)第二十九条の二第一項各号に掲げる者に該当する者を除く。)であつて同法第二十八条第一項第一号又は第三号に該当するとして分限免職の処分を受けたとき。
2 前項の規定により免許状が失効した者は、速やかに、その免許状を免許管理者に返納しなければならない。

とある。なお、法律の「項」とか「号」とかいう区分は衆議院法制局のコラムInternetArchivearchive.today魚拓)に詳しく書いてある。
 この町田一男さんは懲戒免職処分を受けて教員免許を失効したということが分かる。ちなみに、簡単に調べたけど、町田一男さんの研究は色々出てくるけど、何をして懲戒免職になったのか、そういうニュースは見つからなかった。
 公立学校の教諭は懲戒免職になると自動的に免許失効となるのである。先日の神戸市立東須磨小学校での教員のいじめ事件というか、暴行とか障害とか器物損壊に該当する犯罪だが、この関連のコメントで懲戒免職になっても教員免許を剥奪しないとよくないという物があった(例えばここ(魚拓InternetArchive))。安心してください。懲戒免職になったらちゃんと教員免許も失効となります。

 それはそうと、教育職員免許法の第10条をもうちょい読んでみると、第1項で第5条1項にリンクしていることが分かる。第5条1項は結構多い。

第五条 普通免許状は、別表第一、別表第二若しくは別表第二の二に定める基礎資格を有し、かつ、大学若しくは文部科学大臣の指定する養護教諭養成機関において別表第一、別表第二若しくは別表第二の二に定める単位を修得した者又はその免許状を授与するため行う教育職員検定に合格した者に授与する。ただし、次の各号のいずれかに該当する者には、授与しない。
一 十八歳未満の者
二 高等学校を卒業しない者(通常の課程以外の課程におけるこれに相当するものを修了しない者を含む。)。ただし、文部科学大臣において高等学校を卒業した者と同等以上の資格を有すると認めた者を除く。
三 成年被後見人又は被保佐人
四 禁錮 以上の刑に処せられた者
五 第十条第一項第二号又は第三号に該当することにより免許状がその効力を失い、当該失効の日から三年を経過しない者
六 第十一条第一項から第三項までの規定により免許状取上げの処分を受け、当該処分の日から三年を経過しない者
七 日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者
2 前項本文の規定にかかわらず、別表第一から別表第二の二までに規定する普通免許状に係る所要資格を得た日の翌日から起算して十年を経過する日の属する年度の末日を経過した者に対する普通免許状の授与は、その者が免許状更新講習(第九条の三第一項に規定する免許状更新講習をいう。以下第九条の二までにおいて同じ。)の課程を修了した後文部科学省令で定める二年以上の期間内にある場合に限り、行うものとする。
3 特別免許状は、教育職員検定に合格した者に授与する。ただし、第一項各号のいずれかに該当する者には、授与しない。
4 前項の教育職員検定は、次の各号のいずれにも該当する者について、教育職員に任命し、又は雇用しようとする者が、学校教育の効果的な実施に特に必要があると認める場合において行う推薦に基づいて行うものとする。
一 担当する教科に関する専門的な知識経験又は技能を有する者
二 社会的信望があり、かつ、教員の職務を行うのに必要な熱意と識見を持つている者
5 第七項で定める授与権者は、第三項の教育職員検定において合格の決定をしようとするときは、あらかじめ、学校教育に関し学識経験を有する者その他の文部科学省令で定める者の意見を聴かなければならない。
6 臨時免許状は、普通免許状を有する者を採用することができない場合に限り、第一項各号のいずれにも該当しない者で教育職員検定に合格したものに授与する。ただし、高等学校助教諭の臨時免許状は、次の各号のいずれかに該当する者以外の者には授与しない。
一 短期大学士の学位(学校教育法第百四条第二項に規定する文部科学大臣の定める学位(専門職大学を卒業した者に対して授与されるものを除く。)又は同条第六項に規定する文部科学大臣の定める学位を含む。)又は準学士の称号を有する者
二 文部科学大臣が前号に掲げる者と同等以上の資格を有すると認めた者
7 免許状は、都道府県の教育委員会(以下「授与権者」という。)が授与する。

 教員免許失効で関係があるのは3号、4号、7号なので、他は無視しよう。
三 成年被後見人又は被保佐人
 人にモノを教えられるような立場ではない。
四 禁錮 以上の刑に処せられた者
 立派に犯罪者なので教員として不適。
七 日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者
 問題の7番である。政府を暴力で破壊することを主張する団体というと、極左過激派とかオウムとかは当然思い当たるけど、破防法に基づく調査団体である共産党公安調査庁)もこれに該当するはずである。
 公務員による政治活動はかなり制限されているが、教員は割と平気で政治活動をしているフシがある。あろうことか教壇に立って政治演説を始めるおかしな人さえもいる。卒業式での日の丸や君が代拒否もその一つに数えられる。そんな連中の全員が共産党に所属していないと考えるほうが不自然で、共産党員と見ればこの法律により排除できるのである。今更だけど、レッドパージできる法律があるんだからちゃんとやれよって思う。

チェルニー30番26 演奏解説

 26番はチェルニー30番の中で唯一短調であり、随一の旋律の美しさを持っており、多分チェルニー30番では一番人気ではないかと思う。ゆっくり演奏するなら「きれいな曲だなー」とか言いながら演奏していられるのだけど、例によって指定のテンポは無茶苦茶速いので、そんなこと言ってられない。
 いつも通り、楽譜は全音版を使う。

曲の構成

提示部 18
展開部 924
再現部 2528
コーダ 2936

 この様になっており、また、適宜転調があることからソナタ形式を見立てた構造であり、プロトソナタ(原ソナタ)形式と呼ぶ場合もある[1]が、普段どおり難しいことは抜きにして些末なメカニカルな部分を始め低レベルな解説をするので、曲の構造についてはこれだけで済ませておく。

テンポと同音連打について
 4分音符=92
 基本的に16分音符の3連符となっているので、4分音符に6音入っている。ということは1分に6×92=552回、1秒間に552÷60=9.2回の打鍵を行う速度である。
 同音連打の練習は12番もあるが、こちらは1分間に456回と少しゆっくりである。シューベルトの魔王が12番と同じ連打速度なので、26番は魔王よりも速いということになる。
 ピアノの機能として同音連打の回数はグランドピアノは1秒間に13-14回の連打が可能であるが、アップライトピアノは通常その半分程度である[2]。すると、12番はギリギリ不可能ではない数字だが、26番は不可能である。12番も不可能ではないとはいえ、理論上の話であって、現実的には不可能である。
 グランドピアノで同音連打を速く行えるのはダブルエスケープメント機構のためである。アップライトでは鍵盤を押すとハンマーが上がって原を打ち、完全に元の位置に戻ってから次の打鍵に備えるのが普通でるが、グランドピアノはダブルエスケープメント機構を備えておりハンマーが完全に元の位置に降りなくても次の打鍵ができるのである。
 ダブルエスケープメント機構は1821年にエラールによって特許が取られており[3]チェルニーがこの曲集を作った1856年[4]にはとっくに普及していた。チェルニーはダブルエスケープメント前提でこの曲集を書いており、アップライトのことは考えていない。
 アップライトには左のペダルがある。これはペダルを踏むとハンマー全体が弦に近づき、音がソフトになり、また鍵盤が浅くなる[5]。その結果、ハンマーが弦を叩いて戻ってくるまでの時間が短くなるのである。加えて、キーが軽くなるので同音連打には向いている。また、アップライトだけでなく、ファツィオリのグランドピアノにもこのペダルが採用されているモデルがある。このペダルを踏むことによりどれくらいの速度で同音連打が可能になるのか分からないが、もしかしたらこの曲も演奏できる用になるかもしれない。ただし、ピアノのレッスンは大抵グランドピアノので行われるので、この奏法が評価される機会はないんじゃないかな。

同音連打の演奏法
 同音連打の演奏法はピアノ演奏の脱力についてというエントリーで説明したのだけど、キーを手前側に引っ掻くようにして打鍵する演奏方を勧める。離鍵した時にキーの戻る速度が速いほど次にキーを押す準備が速くできるので同音連打も速くなる。従って、打鍵後速やかにキーの上から指をどける、手前に引っ掻く奏法が有効である。できるだけ早く離鍵するために、可能な限りキーの手前の方で打鍵する。キーの端、ヘリのギリギリのところに指先がかすめるように指を振り抜くのが良い。キーのアップリフトとかを感じている余裕はない。
 また、指先側にあるDIP関節、PIP関節の2つの関節を真っすぐ伸ばして固定し、指の付け根であるMP関節だけを曲げて弾くと安定する。
 指がキーに対して平行になっていないと引っ掻いて指を曲げたときに隣のキーに引っ掛けてしまう。

禁じ手
 上記のようにキーを手前に引っ掻くようにして弾くわけだけど、キーと指の間に摩擦抵抗が発生する。長く練習していると指先が減っていたりすることもある。そうなると結構痛みを伴うので練習するのが嫌になる。
 怪我するのはどうでも良いのだけど、指とキーの摩擦抵抗があるということは、それだけで打鍵速度を鈍らせることになる。そこで、指とキーとの摩擦を減らす事を考える。
 とは言っても、できることといったら指先に潤滑剤をつけるという程度しかない。エアホッケーみたいにキーに小さな穴を開けて空気を送り出して指とキーを直接接触しにくくするとかもありかもしれないけど、そういうのは普通に駄目だと思う。
 何を潤滑剤にするかということだけど、水とか油がぱっと思いつく。しかし、油がピアノにつくとキー側面の無垢の部分に染み込んですっごく汚らしくなりそう。だからといって水は畢竟楽器からできるだけ遠ざけるべきものであり論外。そんなときにベビーパウダーである。昔はソフトペダルでアクションをスライドさせる際に摩擦を低減させるために粉を撒いたそう[6]だが、ここでは指とキーの摩擦を低減させるために指先にベビーパウダーを塗りたくる。
 黒鍵がちょっと白っぽくなったり暫くキーが滑りやすくなるけど、だいぶ弾きやすくなる。もちろんピアノの先生の前でやったらクソ怒られるし、発表会でも多分許してもらえないから、使える機会は自宅のみとなる。

手元を見ずに弾く
 全体的に長い距離の跳躍が少なく、大体手探りで次に押すキーの位置が分かる作りになっているので、殆ど手元を見る必要がない。手元を見ずに弾くためには、指番号をちゃんと書いておくことと、跳躍で間違えそうなところはその距離を書いておくとよい。
 手元を見ずに済めば譜読みは早く進むのでとても良い。1-4、1-5指で正確にオクターブを掴めるようになっていないと難しいが、多分チェルニー30番を練習するくらいの人ならみんな出来てることだと思う。
 テンポを上げていくと、打鍵が不正確になるので手元を見たほうがミスタッチは減る。指定のテンポで弾こうとするなら殆ど手元を見て弾くことになると思う。僕の場合は、919小節だけ楽譜を見て、そこ以外は手元を見て弾いた。

コンパス弾き
 919小節と、2932小節の右手はオクターブでトレモロのような動きをする。
 ここは1指と5指の上下だけで弾いてはいけない。下の図のように、手首を回転させて手の両端である1指と5指がシーソーのようにキーを押さえるように弾く。この動きの際は、尺骨と橈骨がどの様に動いているかを意識しておくと良い[7]

 この動きをシュッテルング(Schüttelung)という[8]が、根津栄子に倣ってコンパス弾き[9]と呼ぶことにしている。なお、コンパスはこのような動きで使う道具ではない。何故「シーソー弾き」と呼ばなかったのか問わねばならない。

34小節

 ◎4小節右手最初のところ。3指でBを押したらすぐにDを押せるように直前のCを押して3指をBの上に移動させるのと同時に5指をDの上に持っていきスタンバイしておく。

914小節

 ✡左手。中声部を1指で取るのだが、ずっとスラーが付いている。1指が離鍵してから打鍵するまでの間に音が出ていないことになるが、ベースの音を完全にレガートにすることで無音部分を誤魔化すことができる。

916小節

 展開部に入ると中声部に主旋律が移る。
 主旋律とはいっても、スケールを上下するだけなので、あんまり面白みはない。どうせなら対旋律とか書いてくれたらいいのにとか思うけど、そうすると曲自体が重くなりすぎるから敢えてやらないのかな。

920小節
 ●右手。オクターブを横着してポジション移動せずに弾こうとすると指が届かずに外す。ちゃんとポジション移動した上でコンパス弾きすること。オクターブが届かないのは手のポジションが左によっているため、そこから指を伸ばしても8度の広がりには至らない。コンパス弾きはちゃんと1指を離鍵するため。

2022小節

 *21小節最初の音は左右ともに1オクターブ以上跳躍した先の音であり、手元を見る必要がある。20小節の後半で予め左手のCisの位置を確認・記憶しておいて、そちらは見ないでも正確に打鍵できるようにしておく。左手Cisの位置を確認した後は22小節まで右手ばかりを見ることになる。
 ☆2122小節右手。G音を1指で取るとき指が寝ていると隣のキーを同時に押してしまう。指を建てるか、鍵盤の手前側の端の方を押すかして回避する。1拍目→2拍目は手の形を変えずに平行移動するのではなく、1指を3指で跨いでレガートに繋げる。
 ✡22小節右手真ん中辺、GEG。16分音符の連桁が切れており、フレーズの僅かな切れ目となっているが、コンパス弾きの動きになる。

2429小節

 ④展開部から再現部に移るところ。テンポを落とさずに繋げるのが望ましい[10]が、これみよがしにテンポを落としてもいいと思う。
 2527小節頭にかけてクレッシェンドでピアノからフォルテに強くしていく。そして、29小節コーダに入ったところでいきなりピアノになる。
 29小節前半の左手の分散和音は28小節左手の2音目を分散させた形になるので、28小節最後の休符で手を移動させないこと。

3334小節

 ◎33小節右手。5音目から最後の部分は1オクターブに収まっているが、各音を強く弾くためちゃんとポジション移動をすること。怠けてポジション移動しないでいると5指で強音を出そうとしたときに隣のCを一緒に押してしまう。
 ●3334小節右手。2指でGを押すとき、黒鍵と黒鍵の隙間の部分を押すと、指またぎのために指を上げようとしたときに隣の黒鍵に引っかかって動きが止まってしまうので、指を折り曲げてキーの手前側部分を押すようにする。
 △34小節右手。1指をまたぐ形になるが、ここでは1指をキーの上に残したままにしておくと手全体の動きが非常に制限されて邪魔で仕方ない。ここではキーの端の部分を1指で引っ掻くように指を振り抜いて、1指をキーの上に留まらないようにする。従って指をまたぐ形にはならない。

参考文献
 [1]末吉保雄 上杉春雄, チェルニー30番 New Edition 解説付音楽之友社(2007)
 [2]アップライトピアノ(archive.today), Wikipedia
 [3]岳本恭治, ピアノ・脱力奏法ガイドブックVol.2<実践編・チェルニー30版を使って>, サーベル者(2015)
 [4]上田泰史, 「チェルニー30番」の秘密――練習曲は進化する, 春秋社(2017)
 [5]ピアノのペダルの意外と使われていない役割と使い方!上手な踏み方も解説(InternetArchive, archive.today, 魚拓), ビギナーズ
 [6]荒川三喜夫, ピアノのムシ13, 芳文社(2018)
 [7]トーマス・マーク, ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと, 春秋社(2006)
 [8]井上直幸, ピアノ奏法―音楽を表現する喜び, 春秋社(1998)
 [9]根津栄子, チェルニー30番 30の小さな物語 下巻, 東音企画(2013)
 [10]ツェルニー30番練習曲, 全音楽譜出版社

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