日韓国交正常化 第4,5次日韓会談の回顧 沢田廉三氏にきく

 日韓国交正常化交渉の際の沢田廉三回顧録に、5億ドルの経済支援について、5億ドルとなった根拠が書いてあった。曰く、「大蔵省と相談したのではなく、ヴィエトナムとかビルマ、タイなどに日本が出した金額から見て、そのくらいあればなんとか話ができるのじやないかと考えて」とのことである。実にいい加減なものである。
 折角なので当該部分と合わせてテキスト化しておいた。

 読めば読むほど、朝鮮人はやっぱり朝鮮人だなあと感じる。また、沢田氏の朝鮮人に対する認識は現代の感覚からしてあまりに楽観的で、よくこんな奴に首席代表を任せたものだと思う。脱亜論を読んでいないのだろう。もしかしたら日韓併合時の朝鮮人は他の時代に比べて特別におとなしかったのかもしれない。それで、沢田氏は朝鮮人の性質を見誤っていたのかもしれない。竹林はるか遠くあたりを読めば朝鮮人がどういうものか分かるというものだけど、沢田氏は当時を生きていながらそういった現実を目にする機会がなかったのだろう。
 それにしても、朝鮮に対してこれほど甘い態度を取る沢田氏でさえ公職追放を受けたということだから、戦後の社会がどれほど偏った思想で動くことになったか推して知るべしである。
 いろいろツッコミどころの多い文章だけど、これ以上私見を挟むことは止めて、あとは文面を上げるだけとする。
 原文は日韓会談・全面公開を求める会のページからダウンロードできるが、xdwというゼロックス用のデータ形式であり、開くのが少しめんどくさいのでPDFに変換したものを置いておく。
 第4,5次日韓会談の回顧 沢田廉三氏にきく 2015-00518-0003-IMG.pdf

昭和45年7月

第4,5次日韓会談の回顧
―沢田廉造氏にきく―
(きく人 西山事務官)

アジア局東北アジア
日韓国交正常化交渉史編纂委員会
(編纂委員会注)
 本校は、昭和45年6月15日午前11時~午後1時、ホテル・ニューオータニにおける談話筆記である。
 沢田廉三氏は、第4次日韓会談(昭和33年4月~35年4月)、第5次日韓会談(35年10月~36年5月)の日本側首席代表であつた。
 きく人西山事務官は北東アジア課主席事務官である。
目次 頁
1. 因幡の白兎は韓国人漁夫説………………1
2. 韓国首席代表林炳稷氏とは親しい仲…… 4
3. 文科委員会名と韓国主張……………… 10
4. 基本関係の樹立を念願としながら……… 12
5. 許政・兪鎮午・柳泰夏氏の印象………… 14
6. 請求権5億ドルの数字…………………… 17
7. 最も困難な時期に…………………………18
8. アメリカからのプレッシャーはなかった……20
9. 対韓交渉の印象……………………………22
10. 朝鮮半島全体に対する考え方……………24

資料
1. 第4次日韓全面会談本会議第1回会合における沢田首席代表の挨拶…………26
2. 第4次日韓全面会談本会議第1回会合における林炳稷韓国首席代表挨拶……29
1. 因幡の白兎は韓国人漁夫説
西山: 第4次日韓全面会談の首席代表になられましたのは、韓国となにか特別の関係がおありだつたからですか。
沢田: 全然ない。昭和11年10月~13年4月満州国大使館の参事官時代に朝鮮を通るごとに朝鮮内を視察して知つてはいたが・・・。私は石井光次郎さんをよく知つていた関係で、石井さんが沢田を何かに使つてやろうというつもりで岸さん(当時首相)に話されたのかもしれないと思つている。ただ私は当時、記者会見などで「韓国と交渉に当たるような因縁があるのですか」という質問を受けたときに、こういつたことを覚えている。「諸君は古事記にある稲葉の白兎の話を知つているか。あれは私に言わせれば、韓国の漁夫が潮流に流されて隠岐の国に漂流して白衣悄然と砂浜に立つていた。そのとき因幡の国の末恒(鳥取市西方の湖山池の北、付近に「白兎」の地名が残る。)の漁師が船をこいできて隠岐に立ち寄つたので、韓国の漁夫が因幡の陸まで送つてほしいと頼んだ。漁師たちは韓国の漁夫を末恒に上陸させて、「渡し賃を払え」というと、韓国の漁夫は「そんなものはない」と居直つたので、漁師たちは櫓櫂で打擲し、韓国の漁夫は痛みにたえかねて浜辺に転々と転んでいた。そこに平和の神の大国主命が来て訳を聞き、出湯があるからそれにつかつて葦の葉の上に寝ていれば必ず傷は癒えるといつた。これはまさに韓国人を大国主命が助けた話で、因幡の国と韓国とはこのときから関係があつたわけである。私は鳥取県の出身であるから、私が韓国問題に関係するのは少しも不思議はないじやないか」と。これが松本穣葉子著「ふるさとの民謡」(昭和43年9月、鳥取強度文化研究会発行)に「沢田の白兎伝説異聞」として出ている。
西山: それは大使がお考えになられた誤解釈ですね。
沢田: そうだ。沢田説だ。
西山: あの頃、日本人漁夫が李ラインで韓国につかまつていて抑留漁夫釈放が大問題になつており、鳥取県の漁夫も抑留されていたので、大使はそういうのをごらんになつていて、ひとつ自分がこれを解決してやろうとお感じになったmotiveがありますか。
沢田: 別にそういう動機もなかつた。
西山: 外務省の記録の中には、33年4月18日付で第4次会談のときの訓令の第2次案がありますが、訓令はお受けになりましたか。
沢田: 大臣から訓令をもらつた記憶がない。石井さんとは親しくてよく韓国問題なども話をしたが、岸さんや藤山さんに会つても、「あなたはよく分かつているのだからよろしく頼みます」というようなことだつたのじやないかと思う。
2. 韓国首席代表林炳稷氏とは親しい仲
西山: 日韓会談の首席代表をお引き受けになられたときは、交渉を妥結できるという見通しをお持ちでしたか。
沢田: 私は国連に日本代表の対しとして在任していた関係があつて広く諸外国の人たちと付き合う習慣になつていたために、韓国との間のことだけを考えていなかつたが、日韓会談の韓国側首席代表として林炳稷氏が来ると聞いて驚いた。いい人が来ると思つた。この人はかつてアメリカで李承晩が独立運動をしているとき秘書を務めた関係もあり、李承晩大統領の信任があつて昭和23年12月~26年4月外務部長官をつとめ、その後ずつと在国連大使で、私が国連にいたときにお互いに肩をたたいて話しあう間柄であつた。Curnel, Ben C. Limbというクリスチャンネームでよんでいた。とに角あの人が来れば話のいと口は作れるという感じがした。

 (注) 沢田大使は昭和28年3月~30年8月在国連大使、31年12月~32年3月第11総会の日本代表であり、林炳稷氏は26年4月~33年2月在国連大使であつた。

 だから私は第4次会談の第1回本会議(昭和33年4月15日)での挨拶で、極東の日本、極東の韓国としてでなく、世界の日本、世界の韓国として相携えて立ち上がるところまで行こうじゃないか、お互いに国連にいたようなつもりで話し合えば、話し合えないことはないではないかと述べることにした。私はかつて李承晩を世話したドクター・ウエルスが林氏との間に往復した手紙をニュー・ヨークの友人に見せてもらつたことがあるが、林氏もただ日本と韓国との関係ということだけでなく、広い国際関係の視野をもつている人であることを知つていたので、この私の気持は林氏に通ずると思つたから、林氏を会談の開かれる前日に羽田に迎えたときにこの挨拶文の写を手渡した。彼自身はびつくりしたような顔をしていたが……。(資料1)
 開会式での林氏の挨拶は、それに答え得るものではなかつた。日本統治中にいじめられたコンプレックスからか、今、読んでみても「この階段が正義、平等、誠実の諸原則に貫かれるべきであると信じます」「双方が正義、平等、および誠実の諸原則を尊重することこそより重要なことであります」「ここで直ちに正義、平等、誠実の減速の適用を始めようではありませんか」と3回も同じ言葉が出ている。国連の精神に従つて移行じやないか、という私の挨拶とは非常な距たりがあるが、これはおそらく林氏自身の考えではなく、向こうの代表団で作つたものを読んだに過ぎないと思う。それにもかかわらず、私はこの階段はまとめなければいけないし、またできるものだという感じをはじめからもつていた。(資料2)
西山: 韓国側が何回も繰り返した正義、平等、誠実というのは具体的にはどのようなことを考えていたのでしようか。
沢田: やはり統治時代に抑えられたことに対して、これからは平等な建前でやつていこうということだつたと思う。
西山: 交渉の内容で構成、平等の建前から韓国がぜひ貫きたいというのは、どんな点ですか。
沢田: たとえば、こちらに持つてきていた韓国文化財の問題など……日本が引渡した106点の文化財(昭和33年4月16日に引渡す)は韓国ではずいぶんつまらないものと考えていた。あんなものでごまかされないといつていた。日本が韓国から多くの文化財を持つて行つたのだから、それを全部返してよこすのは当たり前じやないかという考えだつた。その他のものも日本は我々を抑えてもつて行き、それをネコババを決めているという考え方で、それを返せ返せと牙をむき立てていつているという格好だつた。
西山: 文化財問題は非常に御印象に残る問題ですか。
沢田: そうだね。博物館などのリストに出ているもののみならず、日本側が個人として韓国から買つてきたものも調べて、返してもらわねば困るといつていた。その点からいうと、一昨年私が訪韓したときに、韓国の気持ちも変わつたな、そんなにこだわらなくなつたなというきがした。いまだに歩調の遅れたところはあるが、今の話のように、ことごとにつつかかつてくることがなくなりつつあるように思つた。

 (注) 33年11月の「対韓交渉方針決定に関する件」の中に、文化財についての韓国側の強い要求ぶりを述べている。
3. 分科委員会名と韓国の主張
西山: 第4次日韓会談での分科議員会の名称が韓国請求権委員会とか漁業及び「平和ライン」委員会などときめられ、韓国の主張どおりになったという非難が当時の日本国会でありました。これについて首席代表としてどういうな考えでしたか。

 (注) 第4次日韓会談の議題については、昭和32年12月31日に日韓間で合意された議事録で定められており、それに基づき、33年5月6日の本会議第6回会合で下記の分科委員会を設けるととを決定した。
1. 基本関係委員会
2. 韓国請求権委員会(a.請求権小議員会、b.船舶小会員会)
3. 漁業及び「平和ライン」委員会
4. 在日韓人の法的地位に関する誕員会

沢田: 今の話の点は先方の主張を大はばに入れてきまつたのだが、それにきめても、こちらの言い分はどこかに合流しまとめ得るという感じをもつていた。それなら韓国のいうおりにしてやつたらいいじやないかというつもりだつた。
 今度、日本に万国博覧会が来ることが決定された時に、標語は「人類の調和と進歩」とするととが万国博参加議国全体の意思としてきめたことであつた。それが、日本では「進歩と調和」 と逆になつてしまつた。日本流にいえば、「調和と進歩」でも「進歩と調和j でもどつちでもいいじゃないかという簡単な考えだつたと思うが、進歩を先にもつてくると競争になる、優劣を争う、強いものが勝ち、弱いものが負ける。調和というのは未開発国でも文明国でもどこの国でもとに角調和するととで、ハーモニーを保ってその調和した力でもって進歩して行きなさいと進歩の方があとになるべきである。進歩が先になってはエコノミック・アニマルになってしまう。だから、韓国側のいうとおりにしたのは調和を先にするという意味だったんだ。
4. 基本関係の樹立を念願としながら
沢田: 私は委員会のうちの基本関係会員会を一番先に手がけたいと思つていた。会談では他の委員会はすべてこれを開いて、問題の討議を試みたが、基本関係委員会だけは一度も出いたことがなかつた。その理由は、他の委員会の課題となっている懸案が悉く妥結に達した時、初めて基本関係問題に着手するという了解があつたからである。これは私が会談を引受げる前にすでに両国間に合意成立していたため、会談中どうしてもそこに近づけなかつた。
西山: 問うの心理としては、基本関係を先に決めてしまうと、他の案件についてはうまいことやられてしまうんじやないかという心配があつたわけですか。
沢田: それがあつた。しかし、常に私は、私のいう基本関係を早くうち立てれば、そのほかの問題は普通の外交問題として処理できるではないか、そこへ早くもつていきたいと林炳稷氏にも柳泰夏氏にも話していた。当時、東京倶楽部(霞が関3-2)の建物は戦災を受けてみじめなあばらやだつた。韓国側の代表と外務省の内で会うと報道関係にすぐかぎつけられるが、東京倶楽部なら目立たないので、しよつ中そこに林炳稷氏や柳泰夏氏をよんで会つていた。そして「おやじさんに話してくれよ」と裏からいつて、それが私の希望したほど通じたかどうかわからないが、何かそこに道があるような気がして、会議の間、始終、そこにへばりついていたわけだ。
 私が第4次会談の開会の際の検拶の中で述べたように、林大使に国連時代の風潮、傾向を想起してもらい、日韓対等の建前の上に話を進め、会談中に一日も早く基本関係の樹立までもつて行こうと努力したのであるが、私のこの意図は、韓国の内政上かつての日本統治に対する反発またはコンプレックスのぼとぼり消えぬ李承晩大統領時代の気分とまだまだ距たりが多かった。第4次会談の開会の際の林大使の挨拶の中で正義、平等、誠実の同文句を三度もぐり返し述べているように、この思想の距たりが会談に数年を費しても実りをみなかつた最大原因と思われる。
5. 許政・兪鎮午・柳泰夏氏の印象
西山: 大使は、会談期間中、本会議とは別に、林炳稷氏と26回、許政氏と2回、兪鎮午氏と14回、柳泰夏氏と19回非公式会談をしておられますが、そのときの用語は何でしたか。
沢田: 林氏、 許政氏とは英語、兪氏とは日本語で話した。
西山: その人たちにはどのような印象をお持ちですか。
沢田: 林氏のことは先に述べたが、許政氏は立派な政治家で、これも大きなところがわかる人だつた。当時、代表団の一員だつた李澔氏もわれわれと話の合う人だつた。兪鎮午氏は学者で話がよく通ずる人だつた。不幸にして政界に入つてしまい、本堂でないところを歩いているように思うが、立派な人だつた。
西山: 柳泰夏氏は?
沢田: よく尽力してくれたように思う。李承晩大統領を「おやじが」、「おやじが」といつて、ことごとこう「おやじに話してきます」といつて韓国によく帰つていた。許政氏や兪鎮午氏とは肌合いの違う人で李承晩大統領を動かすのには頼みやすい人だと思つていた。
 34年7月に、在日朝鮮人北朝鮮帰還で会談の行きづまり状態のときに、柳泰夏氏が釜山抑留日本人漁夫と大村収容韓国人の相互相関を出来るだけ早く実行したいと考えて会談の無条件再開を計つたがあのときなど柳氏が韓国に帰つておやじさんを問いた結果じやないかと思う。
6. 請求権5億ドルの数字
西山: 請求権問題解決のために日本側からどれくらいの金額を出せば解決できるとお考えでしたか。それに関連して両代表者間で話をされたことがありますか。
沢田: 兪鎮午氏と5億ドルという話をして「その位で何か考えんか」といったことがある。兪氏は「わかりませんね」といつていた。5億ドルの根拠は、大蔵省と相談したのではなく、ヴィエトナムとかビルマ、タイなどに日本が出した金額から見て、そのくらいあればなんとか話ができるのじやないかと考えていつたのだが、、、、。「考えましよう」ともいわなかつた。
西山: そうしますと、そういう具体的な数字まで詰める段階にいつていなかつたということですね。
沢田: いつていない。
西山: 結果的には、そのとおりになつたわけですね。
7. 最も困難な時期に
西山: 大使が会談の首席代表をしておられた期間は日韓問題が大揺れに揺れた時期で、韓国では李承晩が倒れ、その1年後に軍事政権が出現した激動の時期だし、日本では、今日まであとをひいているのですが、例の北鮮帰還の途が開けたということがあつて、首席代表をしておられて本当に大変なことだつたのではないかと想像するのです。そういう問題の時期に重要な役割を果たされた、そういう観点から会談の全体的な御印象はいかがですか、
沢田: 私自身は、ただまとめるというその方ばかりに頭が向いていた。
西山: その間、大使はまとまるだろうというお考えをお持ちだつたですか。
沢田: まとまるというより「まとめたい」という気持ちが強かつた。だから苦労もなかつた。
西山: この当時、李承晩が本気でやろういう気があつたのかどうかについては、どうお考えですか。
沢田: 日本統治時代にいじめつけられていた時のことを考えると、心から日本と一緒になつてというところまできていたかどうかは非常に疑わしい。
西山: 基本的にアメリカに対する関係から日本と仲良くやつているということを、少なくともゼスチャーとして韓国政府は示さなければならない。しあkし根底の気持ちはなかなかその気になつていなかつたのではないでしようか。
沢田: それはわからない。
西山: 第4次会談(李承晩政権時代)のときの空気は第4次会談(張勉政権時代)になつて非常に変つたという印象をお持ちでしたか。
沢田: とくに変つたように感じなかつた。むしろ李承晩が変つても政治的な意味で反対に行くようになつたのではないかという気がした。いい方に変つたとは思えなかつた。

 (注)昭和36年2月3日、韓国民議院では「①制限国交から漸進的に全面国交に進める、②平和線を尊重、守護する、③正式国交は重要懸案の解決後とする、④現行貿易以外の経済強調は国家統制のもとに国内産業の侵されない範囲に行う」趣旨の対日関係決議を行つたことなどで、張勉政権も対日外交を積極的に進めることが困難であつた。
8. アメリカからのプレッシャーはなかつた
西山: 交渉期間中にアメリカ側からぜひまとめるようにという干渉めいたことを聞かれたことがありますか。
沢田: アメリカからのプレッシャーはなかつたと思う。
西山: この時点で日本が一生懸命やろうとした基本的な動機はなんですか。実際問題として漁夫がつかまるし、隣国なのにその間に何もないので不便なことが起こるので何とかしたいという、そういうことなのでしようか。
沢田: そおういうことだ。とに角、身のまわりのことにつられていたということだ。far-reachingな見かたからしてという政策ではなかつたような気がする。
西山: この当時はアメリカの対韓援助が非常に増え、その資金を使つて日本からも韓国に輸出したりすれば非常によかつたという点もあると思うのです。業界も国交があればいろいろ便利だし、こういう関係から日韓会談をまとめることに圧力があつたということもございませんか。
沢田: 感じなかつた。
9. 対韓交渉の印象
西山: 大使の長い外交官生活を通じてこの3年余りの韓国との外交交渉にどのような印象をお餅でしようか。
沢田: とにかく難しかつた。ひと筋縄ではいかぬ、われわれの考え方ではいかんということだ。いろんな要素をそこにつけて考えなくてはいけないということだ。これは考え方によつては、お互いに共通して考えうる部面も多いと思うけれども、それだけに他の国との関係よりも、もつと複雑に考えなければならぬという要素もあると思う。
 われわれは東洋との外交においては、同文同種の国民であつても外国との話し合いよりも別に考えなくてはならない要素をもつている。例えば、ヴィエトナムに対して日本はダニムダムを作つたが、これはほかの国ではちよつとできないことだ。ということはヴィエトナム人いきいても、アメリカ人は自動車でやつて来て仕事をいいつけて帰つてしまう、日本のダニムダムを作つた久保田豊氏は自分がゲートルをつけて住民と一緒にモッコをかついだ、これがダニムダムのできたゆえんだという。私がダニムダムへ行つた時小さな子供までが私の足にまつわりついて「ムッシュクボタがこれを作つた」といつていたが、こういうわらじをはいて現地民と一緒にモッコをかつぐようなことは東洋人でなければできないことだ。そこに韓国に対しても台湾に対しても日本が考えなければいけない共通の点がある。日本がアメリカ流に考え出したと思われたら仕事はできないと思う。これからの東南アジアに対する経済援助についても、金をやりさえすればいいというものではなく、その部分だけ日本が余計に考えなくてはいけない。韓国に対しても、この頃は大変よくなりつつあるが、やはりわれわれには、まだ統治時代の上から臨んだ頭が残つているところがあると思う。それがとれなければいけない。
10. 朝鮮半島全体に対する考え方
西山: 北朝鮮を含めて今後の朝鮮半島全体に対する日本の外交政策はどうあるべきだと思われますか。
沢田: それは容易に彼らを説くことはできないし、彼らからの盛り上る時を待つべきであるが、やはり南北が一緒になるように日本がいつか中に入つて行かなければいけない時が来ると思う。
 中共に対してもそうだ。松村さんや古井さんが北京に行つてやることも必要だが、台湾に近いわれわれと、中共に近い古井さんとが、中共と台湾を一緒にするととろまでを考えてもつて行くべきである。私は一昨年、日華協力委員会で、蔣介石総統によばれた時に何で もいってくれといわれたので、「そういわれるのなら面をおかしていうが」といつて、「中国は『大陸光復』をスローガンにしながら、終戦後20余年かかって未だに海峡は渡れない、それには軍事だけではいかない、思想攻勢でいくべきで、それはあなたのおやじさんの孫文三民主義で行くべきだ、共産主義者は耳を傾けないかもしれないが、これは本土に起こつた思想である」といったところ、蔣介石総統は「やりようによってはそうですね」 といわれた。昨年秋また台湾に行つてみると、町の標語は『実行三民主義』と出ている。それをみて私は蔣介石総統の頭の柔軟性を思った。北京を認めろというのではなく、あの二つをまとめることに日本が出て行くべきで はないか。
資料1

第4次日韓全面会談本会議第1回会合における沢田首席代表の挨拶
   昭和33年4月15日
閣下並びに各位
 本日、日韓全面会談の開会に 当り、ここに日本国政府を代表して大韓民国代表団に歓迎の辞を申しのべますことは私の最も光栄かつ欣快といたすところであります。
 また、国際連合における私のかつての同僚であり、かつ大韓民国の卓越した外交官として私の尊敬おく能わざる林閣下と、この席上でな会いいたしますととは、私の重ねて喜びといたすところであります。
 今日、世界は恐怖と不信に満ちております。人類史上、如何なる時代においても、今日ほど、世界平和と安全を確保する必要が痛感されたことはありません。この目的を達成するためには、大小を関わずすべての国家が力を合せることが必要であります。
 日本国と大韓民国は親密なる隣人であります。今や両国が兄弟として、互い比肩をならべて、恒久平和への途を前進すべき時は熟しているのであります。昨年国際連合総会政治委員会の会合におきましては、たまたま余人ならぬ私が日本国代表でありましたが、林大使は、その時私が「われわれは、大韓民国の代表が国際連合においてわれわれと席を並べることが出来る日のくることを衷心から期待するものである」と明言したことを想起されるでありましょう。私は、このように述べることにより、韓国と日本国とが出力を涵養して極東の韓国、極東の日本国から、世界の韓国、世界の日本国へと速かに成長し、かつ、両国が世界与論の舞台にないで相携えて起ち上るようにとの熱望を表明した次第であります。
 かかる希望が実現するためには、日韓関係の正常化が、必須条件として要求されることは申すまでもありまぜん。不幸にしてかかる目的をもって、両国間に開かれた過去3回にわたる全面会談は成功いたしませんでしたが、この度会談が再開の選びとなりましたことはまことに御同慶に耐えない次第であります。
 過去の意見の相違を調整して、解決をもたらすために、一層の努力をいたしますことは両国政府に課せられた義務であります。私は両国間には友好的解決が不可能な問題は何もないと考えてなります。私は、この任務が極めて困難なことはよく承知いたしておりますが、われわれが互譲互協の精神をもつて交渉に当るならば必ずや成就できるものと確信しております。私は、林閣下も私と同じお考えであると固く信ずるものであります。
 終りに臨み、私は、このように立派な代表団を派遣されました大韓民国政府に対し深甚なる謝意を表しますとともに、重ねて、関下並びに各位に対し、衷心から歓迎の意を表する次第であります。
資料2

第4次日韓全面会談本会議
第1回会合における林炳稷・韓国首席代表挨拶
   昭和33年4月15日
 この儀礼的会合に韓国政府を代表することができをして光栄の至りです。わが代表団は韓日両国の期待する成果を実現するつもりで参りました。この実現のため沢田大使とともに働くことのできるのは誠に幸いです。沢田大使と私は既に国連でともに働いたことがあり ます。
 今日のとの儀礼的会合は明らかに具体的問題の討議の場ではありません。しかしながら韓国政府はこの会談が正義、平等および誠実の諸原則に貫かれるべきであると信じます。わが方が全面的に誠実であることは既に多〈の機会に示されており、日本側にも同じことを期待する次第であります。
 われわれの間には多くの問題があります。最近の両国関係は多くの困難にみちています。しかしながらその大部分は、誠実に取扱われれば解決できるものであります。韓国政府の見解によればこの会談の意義は両国間の懸案を解決するにとどまりません。両国間の友好関係は重要であります。しかし双万が正義、平等、および誠実の諸原則を尊重することこそより重要なことであります。
 韓国はこれらの減速の遵守を誓うものであります。韓国は常に他のすべての友好諸国との関係においてもこれらの原則を強調してきました。日本も同様にこれらの原則を尊重するならば、会談の成功は間違いありません。われわれはただ一つの目標しかありません。それはこれらの原則に基礎をおく、強く結束した自由世界の建設であります。
 われわれの最大の望みは韓日両国が本会議でこれらの原則の適用について世界に範を垂れることであります。これは意義深い機会であります。それにふさわしく行動したいと思います。ここで直ちに正義、平等、誠実の原則の適用を始めようではありませんか。


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 20170227 日韓交渉報告 請求権関係部会

キーボード買ったよ BFRIENDit1430

 先日、キーボードが壊れたので新調した。
 壊れたと言っても、エンターキーのキートップパンタグラフを固定している部分が割れて、エンターキーが凄く押しづらくなっただけなんで、使えないわけではない。ちなみにサンワサプライSKB-SL06BK。近所のエイデンで購入したのだけど、凄く良い。購入した当初は、店頭に置いてにあったのをテキトーにレジに持っていったというだけなのに、意外に良くて、今のキーボードは結構良く出来てるもんだなと思ったものである。今回、色々とキーボードについて調べるにつけ、打鍵感、キーストローク、反応どれを取っても今でも最高クラスの理想的なキーボードと思えるのだけど、どういうわけか廃番になっている。フォルクスワーゲンのビートルみたいにずっとおんなじの作ってればいいのに。
キーボードがむちゃくちゃ汚いので小さい画像だけ

 2015年の春に買ったキーボードだから、13年くらい。たったの13年程度で壊れるとは軟弱なキーボードだと思わんでもないけど、パンタグラフ式は壊れやすいそうだから、仕方ないかな。

 壊れた理由、というか、逆に13年間に渡って壊れなかった理由というのもある。実はPCラックのキーボードを置いておく抽斗のような部分にキーボードを置いていたのだけど、ずいぶん前からこの抽斗が壊れていて、時間とともに症状は進行していた。
 正確な時期はまったく覚えていないのだけど、2010年頃のことだと思う。レールのベアリングが落ちたのが一番最初だった。このときは何が起こったのかわからなかった。ただ、床に落ちたベアリングが転がっていて、「これは何だ? What's this?」となっていた。その後、幾度もベアリングが落ちたけど、やはり何のことかわからなかった。多分、抽斗の動きは悪くなっていたことだと思う。
 ある時、抽斗を引いたときに、抽斗が外れた。「ちょっと引っ張りすぎたかな? 今後は無理に引っ張らないよう気をつけよう」と言って、少し丁寧に扱うようになった。
 そんな感じで、時には抽斗が抜けるということもあったが、概ね平和に使っていた。
 ある日、派手に抽斗が外れた時があって、その際に一緒に大量のベアリングが雪崩を打ったように転げ落ちてきた。「お前だったのか!」と大造爺さんみたいなことを言いながらベアリングの意味に気づいたのである。
 その後も、より丁寧に騙し騙し使い、なおかつ抽斗にあまり衝撃を与えないようキーボードのタッチを極力弱くした。数学ガール乱択アルゴリズムでリサが音を立てずにキータッチしてたような感じである。まあ、音を立てないというのは実質不可能なので音は出るわけだが。
 そんな風に、時々抽斗を落下させつつも我慢して丁寧に使ってきたのだけど、ついに毎日のごとく落下するようになって我慢ゲージが限界を超えた。そんなわけで、キーボードを抽斗から天板のモニター前に移した。そういや、最初はここに置こうと思ったけど当時はCRTディスプレイの奥行きが結構大きくて、置けなかったんだよなとか思い出してた。
 そんなわけで、これまでのように我慢してソフトタッチする必要がなくなり、これまでに溜まったストレスを発散するように力いっぱい打鍵するようになった。とはいってもタイピングが遅くなるので、のべつ幕なしに強打するわけにはいかず、必然的にその強打はエンターキーに集中するようになったというわけである。毎回メフィストワルツの最後みたいなフォルテシモで打鍵されるエンターキーはそれから数ヶ月で壊れることになったのである。
 壊れるに至った話終わり。

 エンターキーが反応したりしなかったりだと、当然ながら自分の体が自由に動かないような不快感がある。2週間位我慢したけど、もう無理と言って新たに買った。
 購入に際して、世の中にどんなキーボードがあって、自分には何が合ってるのかを調べてみた。
 打鍵方式としてはメンブレンパンタグラフ、メカニカル、静電容量無接点の4種類が主に出回っているということがわかった。それらの特徴をいろいろと調べていく内に、これまで使っていたパンタグラフ式の打鍵感覚は購入当初より気に入っており、説明文を色々読んでもパンタグラフ式が良いということになった。キーを押したときに加えた力と沈み込みの関係で、ある一定以上の力を加えないとキーはあまり沈み込まないけど、一定以上の力を加えたときに一気に最後まで沈み込んで打鍵を終了するのが良いキーである。パンタグラフ式はそれを実現しているという点でとても評価している。
 次に、キーボードのサイズだけど、これまで使っていたものを物差しで測ると、大体15cm×45cmなので、これ以下なら置く場所には困らない。今回調べた中では大抵のキーボードはこのサイズに入っているのであんまり気にすることはなかった。
 最近だと、無線のキーボードが多くあるらしい。無線って設定が面倒くさそう。そもそも、設定がいるって何なのよ? 僕が最初に家で使ったCompaqのPCには無線マウスが付いていて、時々電池が切れて単4電池2本を交換しなければならないのが地味に面倒だった。そういや、あれの設定ってどうなってたんだろう、と思ったけど、PC付属のマウスだからプリインストールで設定してあったんだろうな。とにかく、無線は避けることにした。多分、問題なく使えるんだと思うけど、僕自身マシントラブルには頻繁に遭遇するので、そういった検討材料を増やしたくない。
 キーボードの種類。キーの数とか配置とかに種類がある。もちろん、これまで使っていたフルサイズのものと同じが良い。
 最近流行りの隣接するキー同士が離れているアイソレーションキーボード。
 そんなわけで、キーボード選定において基準になるのは以下の5つ。
パンタグラフ
・15cm×45cm以下
・有線
・フルサイズ
アイソレーション
 この5つの基準で絞り込んで、その中からキーボードを選ぼうと思った。のだが、試しに価格.comで検索したところ該当機種0件。まさかの存在しないとなった。供給がないってことは、僕と同じ需要もないのか。残念すぎる。
 いろいろと探したのだけど、そもそもアイソレーションの殆どがメンブレン式なので殆どの製品が弾かれる。そのうえ、時代に逆行するような有線&フルサイズ。有線はともかくとして、テンキーとSpecial Keysを備えたフルサイズは需要があると思うんだけどなあ。
 色々と検索したけど、上記の基準に合うものは出てこず、諦めて無線にするかなと思っていたところ、最後にamazonで調べてみたところ、このKB1430というのが出てきた。BFRIENDitという見たこともないメーカー。どうせ中国製だろう。調べてみるとFashionstoreというサイトで同じ製品を扱っている(魚拓)のを発見した。また、中国の通販サイト24h購物(魚拓)でも取り扱っている。このロゴを見るにBFRIENDitというのは"B.Friend it"ということらしい。ということで、そっくりさんのRF1430Kという製品を見つけた(魚拓)。NT$と書いてあるので、台湾の会社だった。
 解説文には次のように書いてある。

BFRIENDit KB1430 USB有線キーボード:
人間工学に基づいたデザイン、シザー構造、スリムなキー、マルチメディア機能のホットキーにより、長時間の利用でも疲れが出ません。 「チクレット型」キーボード:
このチクレット型キーボード、つまり92%フルサイズキーボードの標準に基づき、チクレット仕様の自立式キーキャップを採用しているため、キーが一つずつに水面に浮いているチョコレートのようにキーボードベースに置かれています。さらに、指とキーキャップが接触する面積を増加することで、快適な使い心地になり、静かなタイピング体験を楽しめられます。人間工学的なデザインにより、特徴のある凹まれた円筒状のキーが仕上げられています。同時に、非固着性の設計により、キーを間違ってタッピングする確率を低減することで、キーストロークとキーピッチの両方が大幅に改善されることができ、より快適なタイピング体験を楽しめることができます。ここでは、誰でも簡単に覚えて理解できるように、チクレット型キーボードと名づけました。日常生活をより簡単に

お持ち帰りの日から、伝統的なフルサイズの105キー配列の有線キーボードを通じて、簡単で快適にタイピングすることを楽しめられます。

 見た感じ、僕の求める部分は満たしているようにみえる。気になったのは「チクレット型キーボード」という初めて見る言葉。調べてみると、遥か昔に使っていたキーボードの形式でゴム製で非常に打ちにくいみたいな説明がある。何このトラップ? というか、今どきそんなキーボードが市場に存在するわけ無いやん。と、Wikipediaの記述の方を疑うのだけど、こういうときに役に立つのがamazonのレビュー。そんなに打鍵しづらいキーボードであれば誰もが低評価でその部分を書くだろうけど、そんなことはないので、「チクレット型」という言葉に別の意味を当てているんだろうなという結論に至った。まあ、結局のところ、アイソレーションキーボードのことをチクレットキーボードと呼ぶというのが正しい解釈のようである。
 まあ、問題はなさそうなので、こいつを購入することにした。

実際に使ってみた
 届いた実物はこんなかんじ。


 なんと、昔懐かしのキーボードカバーが付いてる。これがあればキーボードが汚れずに済むぜ! とか言ってる場合ではない。実は、このキーボードカバーは大分曲者である。キーボードの上に1枚膜をかぶせるのだからその分抵抗が増えて当然キーの反応は悪くなる。折角打鍵しやすさを求めたパンタグラフ式でこんなのを点けるとは愚かな限りである。
 更に、キーとキーの隙間にも当然カバーはあるわけで、その分隣接キーとの隙間が小さくなる。敢えてキーとキーの間を広げたアイソレーションだというのに、キーボードカバーとか頭おかしいんじゃないかと。
 あと、これは僕だけかもしれないんだけど、キーの上で指が滑らない。僕は打鍵するときによくグリッサンドみたいに指を打鍵した状態から横に滑らせて隣のキーを押すことがあるんだけど、シリコンゴムのキーボードカバーはこれを許さない。そういや、ZWEI IIをプレイするためにコントローラーを買ったときも指が滑らんくて困るって言ってた気がする。
 それから、下の写真を見てもらいたいのだけど、

 エンターから下のキーを覆う部分が2つのキーを一緒に覆ったり、エンターキーが別れてたりしていたりする。なぜこうなるかと言うと、上のB.Friend itのサイトで見つけたRF1430Kという製品がこのキーボードカバーがぴったり合う形をしているのである。

 つまり、このRF1430K専用のキーボードカバーがあって、それに合う形になるようKB1430を設計したのである。すると、日本で標準的に出回っているキーボードとキーの配置が微妙に異なってくるのである。

 一番下のキーの並びが特徴的。CtrlとWindowsキーがShiftの下に、AltがZの下にある。そして、無変換、長いスペースバー、無変換、かな。使途不明なFnがあって、Alt、Ctrlとなっている。マウスの右クリックと同じ働きをするアプリケーションキーは存在しない。よく使うのに。
 新旧のキーボードを並べると下のようになる。

 おわかりだろうか。これだけ位置がずれてるとホント使いにくい。
 とにかく、左の無変換とAltとWindowsキーがだいたいキー1個分くらい左にあるのが困る。さらに言えば、Altはもう少し大きいほうがいい。
 文字を入力する以外はマウスを使うというユーザーも多いと思うが、僕は逆でできるだけマウスを使わずにキーボードだけで済ませたいので、AltやCtrlあるはWindowsキーというのは割と頻繁に使う。そこで、Altの位置が違い、その上あるべき場所に無変換があるというのは凄く困る。無変換というキーは押すとキーの入力設定が変わるため、その後に叩くキーは思いもしなかったものが出てくる。Altキーを押し間違える度に不愉快な思いをしなければならないのである。そして、文章を入力するさいに、平仮名にしようとするときは無変換を押す。しかし、無変換と思って押したキーの位置にはスペースバーがあるのである。アプリケーションキーがないのは購入前に製品写真を見て知っていたけど、Altの周辺の様子までは目が行っていなかった。Alt+F4とか凄く押しづらい。
 打鍵感については全く問題なく、パンタグラフ式ならこうなるなという文句のない感じだが、キーストロークが短い。アイソレーション型のキーボードは多分全てキーが浅いタイプなんだと思う。デスクトップ向けのキーボードで薄く作る必然性はまったくないのだけど、メーカー側の薄く作りたいという欲求によるものだと思う。
 アイソレーションキーボードなのでミスタッチは減ってると思うんだけど、これはよくわからない。確かに、間違って隣のキーに触るということは減った気がする。でも、普通にそれ以外のミスタッチはあるんで感覚としては相変わらずミスタッチするなあという感じである。
 極端に使いにくということもなく、そのうち慣れていくものと思うので、当分はこのキーボードを使うことになった。

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エクセルで円を描く

 数学ネタのときとか、エクセルのグラフで作図することがある。
 四角とか三角は頂点の数だけ座標があればよいのだけど、円を描くときは1°刻みに361点並べてグラフを書いてる。360じゃなくて、361点なのは0°の点と360°の点をつなげるため。
 それだと円1つにつき722セル使うことになって結構容量が大きくなってしまう。そこで、どこまで雑に描いても問題がないかを検証してみた。
 やることは単純で、円を描くときに角度をどれくらいに刻んだらよいのかというだけ。
 刻む角度は1°、10°、15°、30°、60°とした。
 結果は次の通り。グラフはクリックで拡大するので、特に0°のあたりに注意してみるとよい。

1°刻み


10°刻み


15°刻み


30°刻み


60°刻み


 10°刻みと15°刻みではよく見ると0°の部分が少し尖っている。30°刻みだと0°の部分が明らかにおかしい。60°刻みだと円全体の形が歪んでいる。
 15°以上のときに0°がおかしくなるのは0°と360°を端っことしているから。
 そんなわけで、10°刻みで描いておけば問題ないかなということが分かった。あるいは、変則的だけど、全体を30°で刻んでおいて、-30~30°の部分だけ10°で刻んでも問題なく描ける。

 欲しい人がいるかどうか分からないけど、例によってエクセルデータも上げておく。
DL:エクセルで円を描く.xlsx

ショパン マズルカ Op.6-2 演奏解説

 マズルカ2番Op.6-2を録音した。久しぶりのマズルカ
 ショパンの簡単そうな曲を弾こうと思って、短くて簡単そうなのを選んだというだけ。曲自体も悪くない。
 そんなわけで、例によって解説を書こうと思う。楽譜は全音版を使う。コルトー版ナショナルエディションを入手したため、すでに手元にあったドレミ版と合わせて楽譜の表記の比較ができるのだけど、それぞれ違いがあって混乱してどうにもならないので、版ごとの表記の違いについては最小限の言及に止める。

テンポ
 楽譜によって、4分音符=60bpm[1]、4分音符=63bpm[4]、付点2分音符=60bpm[2][5]、付点2分音符=63bpm[3]とバラバラである。
 こういう意見の分かれる部分は権威であるナショナルエディションに従ってしまえば面倒がないんだけど、一応速度を変えて弾いてみた。基準となる音価が4分音符と付点2分音符の2種類あるので、それぞれ60bpmにして弾いてみた。4分音符の方はめちゃくちゃ遅い。どう考えても表記ミスである。ってか、どっかに音符を間違えて書いたに決まってるっていう記述があった筈。パデレフスキ版だった気がするけど、手元にないから確認できない。一方、付点2分音符の方はかなり速い。速度が3倍違うんだからそうなるよね。どうすんだよ、これ。
 弾いた感じとして、付点2分音符は速いなりに曲になる。当然難しくなるけど。
 演奏時間の理論値を計算してみる。ただし、フェルマータとかcalandoなどテンポに関する指示は無視する。この曲は72小節と繰り返しが24小節あるので、合計96小節となる。
・4分音符=60bpm:96bar * 3tic / 60bpm * 60s/min = 288s = 4min 48s
・4分音符=63bpm:96bar * 3tic / 63bpm * 60s/min = 274.3s = 4min 34s
・付点2分音符=60bpm:96bar / 60bpm * 60s/min = 96s = 1min 36s
・付点2分音符=63bpm:96bar / 63bpm * 60s/min = 91.4s = 1min 31s
このとおり。
 ちなみに手元にある音源の演奏時間は以下の通り。
・Adam Harasiewicz 2:12
・Alexander Uninsky 2:07
・Arthur Rubinstein 2:27
・Cor de Groot 2:42
・Halina Czerny-Stefanska 2:20
・Samson Francois 1:37
・Takami 2:32
・Vladimir Ashkenazy 2:30
河合優子 2:34
このとおり。
 この中では、フランソワが一番速く、付点2分音符60bpm指定とほぼぴったりである。曲の前後の無音部分とアゴーギグを考えると5秒くらいは差し引いた方が良いので、63bpmに合っていると見て良いと思う。
 そして、ナショナルエディションの伝道師たる河合優子が2分34秒というかなり遅い部類。というか、ナショナルエディションの求めるタイムの1分遅れである。
 ということで、指定のテンポ通りに弾くならフランソワの演奏を参考にしたらいいんだけど、かなり早いのでそれなりにテクニックが求められる。なんてことを思ったんだけど、ちょっと気になってフランソワの録音を聞き直したらやっぱりそうだった。17~33小節の繰り返しを飛ばしている。ということは、通常96小節弾かなきゃならん所が80小節しか弾いていないということ。ちゃんと繰り返していれば演奏時間は20%増しとなる。となると、1分56秒となってしまい指定速度から20秒遅れのゴールとなる。ということで、指定のテンポで弾く人はいなかったという結論に至った。
 この通り、この曲を楽譜に表記されたテンポ通りに弾く人なんて滅多にいないことだし、だったらいっそ好きなテンポで演奏したらいいと思う。

トリルについて

 ショパンのトリルは基本的に上の補助音から始めることになっているのだけど[6][7]、それが決定的なルールというわけではなく[15]、いくらでもそうしない事例はある。ここでは譜例に指番号が"13"と書かれている通り1から始まっているので、主音から始まることになる。
 ナショナルエディションはこの14小節だけ指番号が付けられているが、この曲のトリルは全てこの音型の部分に付けられているので全部同じように処理するべきである。
 各ピアニストの音源を聞いてもやはり主音から始まっているように聞こえる。

ペダルについて

 楽譜上ではペダルの指示、特にペダルを離す指示はいい加減である。ショパンはペダルの表記についてかなり苦慮した上で楽譜に記していたらしいが[8]、楽譜に書いてある通りに"Ped."でペダルを踏んで、"*"で離していては全然駄目である。
 この譜例では、11~13小節の3拍目に*が付いており、この通りにペダルを離すと3拍目から次の小節1拍目の間はそれまで保持していた音が途切れることになる。一方、14~15小節は*の位置でペダルを離してもいいのかなという気がしたりする。16小節は*の位置がどこなのか解釈する必要がある。
 いっそこういう風[9]に表記してくれたら悩まずに済んだのに。ショパンがこういう書き方をするだけの知恵が回らかったとも思えないので、ペダルについて悩んだことは悩んだけど表記はいい加減にしたとかいうことなのかもしれない。何せショパン本人は同じ曲を弾くとしても二度と同じようには弾かなかったそうだから[6][14]
 さて、この*の位置についてだけど、結局ごく普通に3拍目あるいはそれ以降に書いてある場合は、その音を弾き終わるまで、つまり次の小節頭まで引っ張ってレガートペダルとして読むことにした。それ以外の位置にある場合は、その必然性があるのだろうとして、*の位置あるいはその位置にある音を弾き終わるタイミングでペダルオフにすることとした。

装飾音について
 ショパンの装飾音は原則として拍頭に合わせる[3][10][15]
 意外とこのことを知らない人が多い。僕はこの曲では原則どおりに演奏したけど、別の曲で拍頭に合わせるのが気に入らない場合は平気で拍の前に打鍵したりする。

ベース音のスタッカート

 ナショナルエディションでは1拍目のベース音にスタッカートが付いていた付いてりなかったりする。一緒にペダルの指示があることもあり、ペダルを一緒に踏んだらスタッカートの意味ないやんと、どうしたものか悩む。
 なお、全音は2箇所(31, 71小節)、ドレミは1箇所(71小節)、1拍目のベース音にスタッカートのついている箇所がある。コルトー版にはない。
 一応、スタッカートの記号には音を短くするという意味だけではなく、短い時間でキーから指を離して次の跳躍後の位置まで移動する時間を稼ぐという使い方もあるので[8]、そういう使い方だと言うこともできる。しかし、だったらスタッカートの付いてないベース音についてはギリギリまでキーを押さえておくことになってしまう。当然、ベース音の後はそれなりの距離を跳躍しなければならないので、慌ただしくなる。もしかしたら、その慌ただしさで曲を表現したいのかもしれない。
 実際のところ、どうしたら良いのかわからないので、ハーフペダルで表現したりして誤魔化すことが多い。まあ、ショパン自身毎回違う弾き方をしてたっていうしあんまり楽譜に書いてあることを絶対してしてもしょうがないんじゃないかなとか思ったりする。

スタッカートとかペダルとかがあったりなかったり

 これは9~16小節の主題部分だけど、これが曲全体を通して何回か出てきて、その度に色んな所がちょっとずつ変わっていて非常に煩わしい。その上、版ごとに全然違うので説明するのが面倒くさい。
 ここでは一例として、全音版における各所の違いを示しておく。
 「8分音符+スタッカーティシモ - 16分休符 - 16分音符」が頻繁に出てくるので(a)と略号を付けておく。
9~16小節

25~33小節

56~64小節

64~72小節

 64~72小節は全てにおいて異なるため、なにか書き加えることは諦めた。
 最もベーシックなものを最初に配置するのが普通だと思うんだけど、ラス前の56~64小節が最も単純で特に書き加えるべきことはない。むしろ、これを基準にして書くべきかもしれないが、最初に出てくるものを変奏する「主題と変奏」という形式を意識してこのようにした。
 全部で4回(繰り返しを入れると6回)の主題の演奏があるわけだけど、1回目と3回目が単純で、2回めと4回目が入り組んでいることが見てわかる。これは、1回目と2回目、3回目と4回目で対になっていることが読み取れる。
 これらの細かい違いを覚えるのは僕には無理なので楽譜を見ながら弾くことになるんだけど、それでもやっぱりよく間違える。ショパンが自分では毎回違う演奏をしていたということを鑑みると、こうやって譜面に記したものはショパンの演奏の一例に過ぎないんじゃないかと思えてくる。

1~7小節

 全音ではこのように左手に合わせてペダルを踏んでいるが、他では全くペダルの指示はない
 2-5指で7度を取らなければならないので、結構手を開かなければならない。5指をしっかり伸ばして弾くよう意識すること。
 1小節目"sotto voce"。"sotto"は「そっと」、"voce"は「voice」なので、「そっと声を出す」というような意味。覚えやすい。
 1~4小節は2拍目のGisにアクセントがあり、マズルカらしさを表している。5~7小節ではすべてのGisの4分音符にアクセントが付いており、前奏部から主題部分に入ろうとしている事がわかる。

6小節

 右手2拍目の装飾音。
 上述の通り、装飾音のDisを左手の和音、及び右手のGisと同じタイミングで弾き、遅れて主音のCisを弾く。

9小節

 ☆右手最初の音にスタッカーティシモが付いているが、ペダルを踏むので、音が短くならない。
 これは、ペダルを踏むのを遅らせて、Gisを離鍵してからペダルを踏むことでスタッカーティシモを表現できる。勿論ペダルを踏むときまで左手のベース音は保持して置かなければならない。
 この部分は8分音符+スタッカーティシモ - 16分休符 - 16分音符という流れだけど、上に書いたように色んなバリエーションがあるので、短く切ったり、ハーフペダルにしたりと色んな方法で表現すると良いと思う。

18、21小節など


 ※右手Disは1指で取る。これはDis-Fisの間に休符が挟まっているのでこれを1-1で取ると確実に音を短く切ることができる。そんなわけで指定の指使いを修正した。ちなみに、この指使いを指定してるのは全音版だけで、他は僕が修正したのと同じとなっていた。ドヤァ

24~25小節

 "calando"は「だんだん遅くしながらだんだん弱く(rit. + dim)」という意味。24小節最後のGisで十分遅くなった後、25小節最初のa tempoで元の速度で主題に戻る形になる。それで、24小節最後のGisは主題の前打であるGisと見做すことができ、そうなるとこの最後の16分音符が通常の4分音符と同じ長さになるように減速したら良いのではないかと思う。

29~30小節

 ナショナルエディションではこの部分に7つのアクセントが付いている。これが、69~70小節ではポルタンドになるため、この7つ以外に無闇にアクセントを付けるべきではない。

33~48小節

 33小節から48小節が中間部。
 この部分はリディア旋法[11]となる。シャープ4つなので、ホ長調嬰ハ短調に見えるけど、Dに敢えて臨時記号のシャープを記している。リディアはIVを半音上げるので、A主音のリディアであることを示すためにDに臨時記号を付けている。だったら、シャープ3つにしてDに臨時記号付けたらいいやんって思うんだけど、調号を変えるのが面倒だったのかな。教会旋法はよくわからん。
 41~48小節はCis主音のリディアとなる。
 "gajo"というのは「陽気に」という意味[12]。それと、初期の手稿では"naïvement"と書いてあったらしい[3]
 長調でも短調でもない、ちょっとくすんだ調子なのであんまり陽気な印象を受けない。のだけど、そこを無理矢理に元気よくはっちゃけた感じで演奏した。このスッキリしない中で元気よく踊るのがポーランドの気質なのかもしれない。
 中間部は前半と後半に分かれて、前半はピアノ、後半はフォルテと対照をなす作りとなっている。さらに、それぞれ4小節ずつの塊となっている。

40~41小節

 中間部の前半と後半を繋ぐ部分。40小節の2拍目にペダルを踏んで41小節最後まで引っ張る。41小節1拍目にベースの打鍵がなく、代わりに40小節3拍目のCisをアウフタクトとして伸ばすことで勿体つけた感じになる。そうして、中間部後半のフォルテが始まる。
 ナショナルエディションには40小節3拍目のCisにスタッカートが付いており、スケルツォ2番の5小節目[13]にある勢いづいたフォルテのスタッカートのような効果を期待しているのではないかと思う。

65小節

 "rubato"の表記がある。ショパンはどの曲もテンポ・ルバートを意識して演奏するものなので敢えてルバートと記すことはないのだけど、それでも敢えて"rubato"と書くほどにルバートを意識しろって言うこと。なお、ショパンのルバートは伴奏は正確なテンポで弾き、メロディーを奏でる右手で拍子に捕らわれない真の音楽的表現を目指すというもの[6]。ここから最後まではここまでに出てきた主題とはかなり異なる作りとなっており、ルバートでしっかり歌うことを求めている。

67小節

 ☆右手2音目、装飾H→Aの部分。この直前までの流れから、手は少し右側を向いたポジションになっているが、この部分は真っ直ぐ正面を向くようにする。手が斜めになっていると4指で白鍵であるAを押しづらく、また指を手前に引っ掻くようにして弾くことができずに次の休符で離鍵しづらくなるため。また、Aが弱いと直前のHが主張しすぎて装飾音でいられなくなってしまう。

72小節

 左手は3拍目が休符となる。これまで場面が変わる際は3拍目をアウフタクトにしていたけど、この曲自体は不完全小節で始まっているわけではないので、律儀なショパンは最後とはいえ2拍で終わらせる訳にはいけない。
 右手はきっちり付点2分音符だけど、左手は2拍目の4分音符で終了していおり、伸ばしていない。仮に、左手の2拍目を2分音符にしろって言ったってこの長10度を掴むのは難しいので、結局手を離すことになると思う。
 結局の所、どうせペダルを踏んでることだし、左手2拍目は2部音符だろうが4分音符だろうが同じ動きをすることになるので別に拘ることなく、右手を離鍵するタイミングまでペダルで引っ張って、離鍵と同時にペダルを離せば問題ない。

参考文献
 [1]ショパン マズルカ集, 全音楽譜出版社
 [2]コルトー, ショパン・マズルカ 第1集(アルフレッド・コルトー版), 全音楽譜出版社(2004)
 [3]Jan Ekier, CHOPIN 4 MAZURKI A, Polskie Wydawnictwo Muzyczne
 [4]ショパン・ピアノ作品便覧, ドレミ楽譜出版社(1993)
 [5]下田幸二, 聴くために弾くためにショパン全曲解説, ショパン(1999)
 [6]ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル, 弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学, 音楽之友社(2005)
 [7]パデレフスキ編 ショパン全集 X マズルカ, ヤマハミュージックメディア
 [8]セイモア・バーンスタイン, ショパンの音楽記号 -その意味と解釈-, 音楽之友社(2009)
 [9]笈田光吉, ピアノペダルの使い方, 音楽之友社(1957)
 [10]不破友芝, 楽譜の風景魚拓
 [11]石桁真礼生 他, 楽典―理論と実習, 音楽之友社(2001)
 [12]音楽用語辞典魚拓
 [13]ショパンスケルツォとファンタジー, 全音楽譜出版社
 [14]小沼ますみ, ショパンの表現様式の考察―「24のプレリュード作品28」の自筆譜に基づく, ムジカノーヴァ(1987)
 [15]ヨセフ・ブロッホ他, ショパン・ノクターン演奏の手引き, 全音楽譜出版社(1998)

心の旋律

 TARI TARIより合唱曲「心の旋律」をアップした。
 カワイから楽譜が出ていたので耳コピをする手間を取らずに済んだ。
 2年前に伴奏を録音してそのまま放置してあって、合唱部分も作らなきゃいけないなあと常々思っており、長期休暇の度に作りたいと思って幾星霜。ついに今夏のお盆休みで作るに至った。
 合唱部分は久しぶりにボーカロイドを使った。作ってから気付いたのだけど、複数のキャラに同時に歌わせるのって初めてだった。合唱作るのは超絶大変だということがわかった。これまでのように2~3日でサクッと終わらせたかったのだけど、全くそんなうまくいくはずもなく2週間ほど掛かった。しかもDAWの使い勝手が悪いのでそちらでも手間取って大変だった。
 各声部は次の通り。

ソプラノ:初音ミク鏡音リン
アルト:巡音ルカKAITO
男声:KAITO鏡音レン

 家にあるボーカロイドが勢揃いした。
 ボーカロイドエディタの使い方については特に独自技術とかを持ってるわけでもなく、あったとしても過去に紹介したことがあるものくらいしかないので、説明はしない。
 今回、SONARとSoundEngineを使ったので、その辺りについてちょっと記録しておこうと思う。
 グレードは、cakewalk SONAR X2 ESSENTIAL / CW-SX2EE (通常版) である。SounEngineフリーソフトでVer.2.00を使っている。現行バージョンがどうなってるか知らないけど、SounEngineが最も使い勝手が良い。さすがフリーソフト
 SONARを使ったのは、マスタリングのため。KAITOと他ではボーカロイドエディタのバージョンが異なるので同じソフト上で扱えないので各キャラクターごとに音声を録音してSONARで6トラック+伴奏を乗せて修正&マスタリングした。

 パンは高音が左、低音が右、ピアノは真ん中という配置にした。とはいっても、全員ほぼ真ん中に寄せているので相当気を使って聞かないと気づかないんじゃないかと思う。僕自身、あんまりステレオ音声をありがたく思わないので僅かにしか設定していない。
 エフェクトとして、合唱部分にコーラスと、全体にリバーブを乗せた。リバーブとコーラスの設定は次の通り。


 コーラスの方は数値が表示されないのでぱっと見何をしているのかよく分からない。とはいえ、僕自身もコーラスというパラメーターはMIDIのCC#93~95にそういうパラメーターがあるっていうくらいしか知らないし、これまで触ったことがない。もしかしたら、ブルクミュラー「可愛い嘆き」、サガ3「聖なる遺跡」、ロマサガ「レクイエム」あたりを入力したときに使ったことがあるかもしれないけど、全く覚えてない。MIDIを始めたばかりの頃に、このパラメーターを上げたら音量が無茶苦茶大きくなったってくらいしか記憶にない。
 そんなわけで、コーラスパラメーターは音が厚くなったらいいなという程度の気分でテキトーに弄った。
 リバーブも同様にMIDIのCC#91をいじるか、あるいは電子ピアノのリバーブツマミを回す程度で、こんなにいろいろとパラメーターがあるなんて知らなかった。
 実際のところ、いろいろと触った結果、デフォルトの値が丁度いいように設定されているのでい実必要はあんまりないということが分かった。

 合唱と伴奏の音量バランスだけど、どれくらいが適切なのか全く分からなかった。
 これまで、何曲か歌曲を録音してきて、その場合は歌と伴奏が対等になるように調性したのだけど、合唱だと歌のほうが優勢になるんじゃないのかと悩んだ結果、ピアノが控えめになった。
 普段、ソロの場合に音量の基準を決めて作ってるんだけど、今回は0dbをだいぶオーバーしてしまうのでコンプレッサーで音圧を上げてやろうと思ったのだけど、SONARにはコンプレッサーが実装されていない。こんな基本的な機能のないとはなんて駄目なソフトなんだと文句の一つも言いたくなるけど、文句を言うなら金を出せって言われるだけだし、しかたないのでMusic Makerを使おうとしたけど、なんか上手く出来ない。まあ、普段から使わないソフトを自在に使えるわけないよね。そういやクリプトンからタダで貰ったCUBASEがあった気がするけど、どこ行っちゃったんだろ。
 そんなわけで、使い勝手のよいSounEngineで音圧を上げることにした。

 コンプレッサーの使い方は以前音を大きくする本で勉強したのでバッチリだ。これまで何度か試みて、なかなか難しいってことも分かってる。

 こんな設定で音量を圧縮した後、ノーマライズ。結局1.0dbしか上げられなかった。この辺りは技術が未熟なまま放置してあるので、こんなもんでしょう。
 これで出来上がり。

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