マズルカ2番Op.6-2を録音した。久しぶりのマズルカ。
ショパンの簡単そうな曲を弾こうと思って、短くて簡単そうなのを選んだというだけ。曲自体も悪くない。
そんなわけで、例によって解説を書こうと思う。楽譜は全音版を使う。コルトー版とナショナルエディションを入手したため、すでに手元にあったドレミ版と合わせて楽譜の表記の比較ができるのだけど、それぞれ違いがあって混乱してどうにもならないので、版ごとの表記の違いについては最小限の言及に止める。
テンポ
楽譜によって、4分音符=60bpm[1]、4分音符=63bpm[4]、付点2分音符=60bpm[2][5]、付点2分音符=63bpm[3]とバラバラである。
こういう意見の分かれる部分は権威であるナショナルエディションに従ってしまえば面倒がないんだけど、一応速度を変えて弾いてみた。基準となる音価が4分音符と付点2分音符の2種類あるので、それぞれ60bpmにして弾いてみた。4分音符の方はめちゃくちゃ遅い。どう考えても表記ミスである。ってか、どっかに音符を間違えて書いたに決まってるっていう記述があった筈。パデレフスキ版だった気がするけど、手元にないから確認できない。一方、付点2分音符の方はかなり速い。速度が3倍違うんだからそうなるよね。どうすんだよ、これ。
弾いた感じとして、付点2分音符は速いなりに曲になる。当然難しくなるけど。
演奏時間の理論値を計算してみる。ただし、フェルマータとかcalandoなどテンポに関する指示は無視する。この曲は72小節と繰り返しが24小節あるので、合計96小節となる。
・4分音符=60bpm:96bar * 3tic / 60bpm * 60s/min = 288s = 4min 48s
・4分音符=63bpm:96bar * 3tic / 63bpm * 60s/min = 274.3s = 4min 34s
・付点2分音符=60bpm:96bar / 60bpm * 60s/min = 96s = 1min 36s
・付点2分音符=63bpm:96bar / 63bpm * 60s/min = 91.4s = 1min 31s
このとおり。
ちなみに手元にある音源の演奏時間は以下の通り。
・Adam Harasiewicz 2:12
・Alexander Uninsky 2:07
・Arthur Rubinstein 2:27
・Cor de Groot 2:42
・Halina Czerny-Stefanska 2:20
・Samson Francois 1:37
・Takami 2:32
・Vladimir Ashkenazy 2:30
・河合優子 2:34
このとおり。
この中では、フランソワが一番速く、付点2分音符60bpm指定とほぼぴったりである。曲の前後の無音部分とアゴーギグを考えると5秒くらいは差し引いた方が良いので、63bpmに合っていると見て良いと思う。
そして、ナショナルエディションの伝道師たる河合優子が2分34秒というかなり遅い部類。というか、ナショナルエディションの求めるタイムの1分遅れである。
ということで、指定のテンポ通りに弾くならフランソワの演奏を参考にしたらいいんだけど、かなり早いのでそれなりにテクニックが求められる。なんてことを思ったんだけど、ちょっと気になってフランソワの録音を聞き直したらやっぱりそうだった。17~33小節の繰り返しを飛ばしている。ということは、通常96小節弾かなきゃならん所が80小節しか弾いていないということ。ちゃんと繰り返していれば演奏時間は20%増しとなる。となると、1分56秒となってしまい指定速度から20秒遅れのゴールとなる。ということで、指定のテンポで弾く人はいなかったという結論に至った。
この通り、この曲を楽譜に表記されたテンポ通りに弾く人なんて滅多にいないことだし、だったらいっそ好きなテンポで演奏したらいいと思う。
トリルについて
ショパンのトリルは基本的に上の補助音から始めることになっているのだけど[6][7]、それが決定的なルールというわけではなく[15]、いくらでもそうしない事例はある。ここでは譜例に指番号が"13"と書かれている通り1から始まっているので、主音から始まることになる。
ナショナルエディションはこの14小節だけ指番号が付けられているが、この曲のトリルは全てこの音型の部分に付けられているので全部同じように処理するべきである。
各ピアニストの音源を聞いてもやはり主音から始まっているように聞こえる。
ペダルについて
楽譜上ではペダルの指示、特にペダルを離す指示はいい加減である。ショパンはペダルの表記についてかなり苦慮した上で楽譜に記していたらしいが[8]、楽譜に書いてある通りに"Ped."でペダルを踏んで、"*"で離していては全然駄目である。
この譜例では、11~13小節の3拍目に*が付いており、この通りにペダルを離すと3拍目から次の小節1拍目の間はそれまで保持していた音が途切れることになる。一方、14~15小節は*の位置でペダルを離してもいいのかなという気がしたりする。16小節は*の位置がどこなのか解釈する必要がある。
いっそこういう風[9]に表記してくれたら悩まずに済んだのに。ショパンがこういう書き方をするだけの知恵が回らかったとも思えないので、ペダルについて悩んだことは悩んだけど表記はいい加減にしたとかいうことなのかもしれない。何せショパン本人は同じ曲を弾くとしても二度と同じようには弾かなかったそうだから[6][14]。
さて、この*の位置についてだけど、結局ごく普通に3拍目あるいはそれ以降に書いてある場合は、その音を弾き終わるまで、つまり次の小節頭まで引っ張ってレガートペダルとして読むことにした。それ以外の位置にある場合は、その必然性があるのだろうとして、*の位置あるいはその位置にある音を弾き終わるタイミングでペダルオフにすることとした。
装飾音について
ショパンの装飾音は原則として拍頭に合わせる[3][10][15]。
意外とこのことを知らない人が多い。僕はこの曲では原則どおりに演奏したけど、別の曲で拍頭に合わせるのが気に入らない場合は平気で拍の前に打鍵したりする。
ベース音のスタッカート
ナショナルエディションでは1拍目のベース音にスタッカートが付いていた付いてりなかったりする。一緒にペダルの指示があることもあり、ペダルを一緒に踏んだらスタッカートの意味ないやんと、どうしたものか悩む。
なお、全音は2箇所(31, 71小節)、ドレミは1箇所(71小節)、1拍目のベース音にスタッカートのついている箇所がある。コルトー版にはない。
一応、スタッカートの記号には音を短くするという意味だけではなく、短い時間でキーから指を離して次の跳躍後の位置まで移動する時間を稼ぐという使い方もあるので[8]、そういう使い方だと言うこともできる。しかし、だったらスタッカートの付いてないベース音についてはギリギリまでキーを押さえておくことになってしまう。当然、ベース音の後はそれなりの距離を跳躍しなければならないので、慌ただしくなる。もしかしたら、その慌ただしさで曲を表現したいのかもしれない。
実際のところ、どうしたら良いのかわからないので、ハーフペダルで表現したりして誤魔化すことが多い。まあ、ショパン自身毎回違う弾き方をしてたっていうしあんまり楽譜に書いてあることを絶対してしてもしょうがないんじゃないかなとか思ったりする。
スタッカートとかペダルとかがあったりなかったり
これは9~16小節の主題部分だけど、これが曲全体を通して何回か出てきて、その度に色んな所がちょっとずつ変わっていて非常に煩わしい。その上、版ごとに全然違うので説明するのが面倒くさい。
ここでは一例として、全音版における各所の違いを示しておく。
「8分音符+スタッカーティシモ - 16分休符 - 16分音符」が頻繁に出てくるので(a)と略号を付けておく。
9~16小節
25~33小節
56~64小節
64~72小節
64~72小節は全てにおいて異なるため、なにか書き加えることは諦めた。
最もベーシックなものを最初に配置するのが普通だと思うんだけど、ラス前の56~64小節が最も単純で特に書き加えるべきことはない。むしろ、これを基準にして書くべきかもしれないが、最初に出てくるものを変奏する「主題と変奏」という形式を意識してこのようにした。
全部で4回(繰り返しを入れると6回)の主題の演奏があるわけだけど、1回目と3回目が単純で、2回めと4回目が入り組んでいることが見てわかる。これは、1回目と2回目、3回目と4回目で対になっていることが読み取れる。
これらの細かい違いを覚えるのは僕には無理なので楽譜を見ながら弾くことになるんだけど、それでもやっぱりよく間違える。ショパンが自分では毎回違う演奏をしていたということを鑑みると、こうやって譜面に記したものはショパンの演奏の一例に過ぎないんじゃないかと思えてくる。
1~7小節
全音ではこのように左手に合わせてペダルを踏んでいるが、他では全くペダルの指示はない。
2-5指で7度を取らなければならないので、結構手を開かなければならない。5指をしっかり伸ばして弾くよう意識すること。
1小節目"sotto voce"。"sotto"は「そっと」、"voce"は「voice」なので、「そっと声を出す」というような意味。覚えやすい。
1~4小節は2拍目のGisにアクセントがあり、マズルカらしさを表している。5~7小節ではすべてのGisの4分音符にアクセントが付いており、前奏部から主題部分に入ろうとしている事がわかる。
6小節
右手2拍目の装飾音。
上述の通り、装飾音のDisを左手の和音、及び右手のGisと同じタイミングで弾き、遅れて主音のCisを弾く。
9小節
☆右手最初の音にスタッカーティシモが付いているが、ペダルを踏むので、音が短くならない。
これは、ペダルを踏むのを遅らせて、Gisを離鍵してからペダルを踏むことでスタッカーティシモを表現できる。勿論ペダルを踏むときまで左手のベース音は保持して置かなければならない。
この部分は8分音符+スタッカーティシモ - 16分休符 - 16分音符という流れだけど、上に書いたように色んなバリエーションがあるので、短く切ったり、ハーフペダルにしたりと色んな方法で表現すると良いと思う。
18、21小節など
※右手Disは1指で取る。これはDis-Fisの間に休符が挟まっているのでこれを1-1で取ると確実に音を短く切ることができる。そんなわけで指定の指使いを修正した。ちなみに、この指使いを指定してるのは全音版だけで、他は僕が修正したのと同じとなっていた。ドヤァ
24~25小節
"calando"は「だんだん遅くしながらだんだん弱く(rit. + dim)」という意味。24小節最後のGisで十分遅くなった後、25小節最初のa tempoで元の速度で主題に戻る形になる。それで、24小節最後のGisは主題の前打であるGisと見做すことができ、そうなるとこの最後の16分音符が通常の4分音符と同じ長さになるように減速したら良いのではないかと思う。
29~30小節
ナショナルエディションではこの部分に7つのアクセントが付いている。これが、69~70小節ではポルタンドになるため、この7つ以外に無闇にアクセントを付けるべきではない。
33~48小節
33小節から48小節が中間部。
この部分はリディア旋法[11]となる。シャープ4つなので、ホ長調か嬰ハ短調に見えるけど、Dに敢えて臨時記号のシャープを記している。リディアはIVを半音上げるので、A主音のリディアであることを示すためにDに臨時記号を付けている。だったら、シャープ3つにしてDに臨時記号付けたらいいやんって思うんだけど、調号を変えるのが面倒だったのかな。教会旋法はよくわからん。
41~48小節はCis主音のリディアとなる。
"gajo"というのは「陽気に」という意味[12]。それと、初期の手稿では"naïvement"と書いてあったらしい[3]。
長調でも短調でもない、ちょっとくすんだ調子なのであんまり陽気な印象を受けない。のだけど、そこを無理矢理に元気よくはっちゃけた感じで演奏した。このスッキリしない中で元気よく踊るのがポーランドの気質なのかもしれない。
中間部は前半と後半に分かれて、前半はピアノ、後半はフォルテと対照をなす作りとなっている。さらに、それぞれ4小節ずつの塊となっている。
40~41小節
中間部の前半と後半を繋ぐ部分。40小節の2拍目にペダルを踏んで41小節最後まで引っ張る。41小節1拍目にベースの打鍵がなく、代わりに40小節3拍目のCisをアウフタクトとして伸ばすことで勿体つけた感じになる。そうして、中間部後半のフォルテが始まる。
ナショナルエディションには40小節3拍目のCisにスタッカートが付いており、スケルツォ2番の5小節目[13]にある勢いづいたフォルテのスタッカートのような効果を期待しているのではないかと思う。
65小節
"rubato"の表記がある。ショパンはどの曲もテンポ・ルバートを意識して演奏するものなので敢えてルバートと記すことはないのだけど、それでも敢えて"rubato"と書くほどにルバートを意識しろって言うこと。なお、ショパンのルバートは伴奏は正確なテンポで弾き、メロディーを奏でる右手で拍子に捕らわれない真の音楽的表現を目指すというもの[6]。ここから最後まではここまでに出てきた主題とはかなり異なる作りとなっており、ルバートでしっかり歌うことを求めている。
67小節
☆右手2音目、装飾H→Aの部分。この直前までの流れから、手は少し右側を向いたポジションになっているが、この部分は真っ直ぐ正面を向くようにする。手が斜めになっていると4指で白鍵であるAを押しづらく、また指を手前に引っ掻くようにして弾くことができずに次の休符で離鍵しづらくなるため。また、Aが弱いと直前のHが主張しすぎて装飾音でいられなくなってしまう。
72小節
左手は3拍目が休符となる。これまで場面が変わる際は3拍目をアウフタクトにしていたけど、この曲自体は不完全小節で始まっているわけではないので、律儀なショパンは最後とはいえ2拍で終わらせる訳にはいけない。
右手はきっちり付点2分音符だけど、左手は2拍目の4分音符で終了していおり、伸ばしていない。仮に、左手の2拍目を2分音符にしろって言ったってこの長10度を掴むのは難しいので、結局手を離すことになると思う。
結局の所、どうせペダルを踏んでることだし、左手2拍目は2部音符だろうが4分音符だろうが同じ動きをすることになるので別に拘ることなく、右手を離鍵するタイミングまでペダルで引っ張って、離鍵と同時にペダルを離せば問題ない。
参考文献
[1]ショパン マズルカ集, 全音楽譜出版社
[2]コルトー, ショパン・マズルカ 第1集(アルフレッド・コルトー版), 全音楽譜出版社(2004)
[3]Jan Ekier, CHOPIN 4 MAZURKI A, Polskie Wydawnictwo Muzyczne
[4]ショパン・ピアノ作品便覧, ドレミ楽譜出版社(1993)
[5]下田幸二, 聴くために弾くためにショパン全曲解説, ショパン(1999)
[6]ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル, 弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学, 音楽之友社(2005)
[7]パデレフスキ編 ショパン全集 X マズルカ, ヤマハミュージックメディア
[8]セイモア・バーンスタイン, ショパンの音楽記号 -その意味と解釈-, 音楽之友社(2009)
[9]笈田光吉, ピアノペダルの使い方, 音楽之友社(1957)
[10]不破友芝, 楽譜の風景(魚拓)
[11]石桁真礼生 他, 楽典―理論と実習, 音楽之友社(2001)
[12]音楽用語辞典(魚拓)
[13]ショパンスケルツォとファンタジー, 全音楽譜出版社
[14]小沼ますみ, ショパンの表現様式の考察―「24のプレリュード作品28」の自筆譜に基づく, ムジカノーヴァ(1987)
[15]ヨセフ・ブロッホ他, ショパン・ノクターン演奏の手引き, 全音楽譜出版社(1998)