自転車で明治用水の頭首工に行ってきた。ルートは安城から明治緑道をひたすら北上するだけなので特記することもない。ちなみに明治緑道は現地では「グリーンロード」と呼ぶのだけど、「ぐりんろーど」あるいは「ぐりぃんろーど」と発音する。
明治用水は矢作川の水を碧海台地(「へっかいだいち」「あおみのだいち」「おおみのだいち」などと読む)に供給する用水路であり、江戸時代末期に都築弥厚が企画、測量、頓挫し、明治時代になって伊豫田与八郎と岡本兵松によって完成した。流路は『疏通千里・利澤萬世―生命を育む明治用水』のp9~p12に掲載されている。次の通り。クリックすると大きくなるよ(833KB)。
見ての通り豊田、安城、知立、刈谷、碧南、高浜、西尾に通っている。
明治用水ができるまで、安城では水がないため生活が物凄く苦しく、朝早くから夜遅くまで過酷な労働に追われる様は「あの子どこの子 安城の子 家のとうさの顔知らぬ」と都々逸に歌われるほどだった[1]。にも関わらず、都築弥厚の計画も好意的には受け止められず、強い反対を受け、妨害も予測されたので、測量は昼間を避け夜間密かに行うよりほかなかった[2]。そんなこんなで色々頑張ったけど、資金が尽き、借金を残して都築弥厚死亡、計画は頓挫した。「弥厚狐に化かされて、川は掘れども水はコンコン」と人々に笑われたとか[2][3]。
明治用水の来歴について語ると長くなるので、これらはまた別の機会に譲るとして、旅の記録をば。
今池町 中井筋と東井筋の分岐点
ここで高浜方面(中井筋)と西尾方面(東井筋)に分岐する。中東制水門、中東分水工というらしい。どういう構造になっているのかはよく知らない。
現在では明治用水は殆どが暗渠になっているためあんまり景観として楽しめるものではない。自転車用の道としてはとてもよく整備されているので走っていて気持ちが良い。ただし、豊田市に入ると明確に道が悪くなる。明治用水は豊田市に利益をもたらしていないから予算が割かれていないのかなあと思ったりするけど、たぶん逆で安城が明治用水に対する神聖視が高まって多くの予算が割かれているんじゃないかな。
三連水車
安城の小学生は全員、かどうかは知らないけど遠足でここまで歩いてくることになっている。
これより上流が開渠となっており、水の流れを楽しむことができる。ただし、道の整備状況はよくない。
頭首工下流側
頭首工下流の明治用水側。
結構木が茂っていて、良い撮影ポジションが見つからない。
暗渠になっている三連水車よりも下流では見ることの出来ない水量。矢作川を流れる水の半分が明治用水に流れ込んでいる。そのため、頭首工よりも下流の矢作川は水量が少なく砂ばかりである。
頭首工下流の矢作川側。
明治用水は写真よりも手前になる。
頭首工上流側
上流と下流で明確に水量が違う。
写真の中洲みたいなのは、導水堤の名残。
この先に更に行けば枝下用水に道は続いているとかいうことなので先に進んでみた。それらしいものは見つけたけど、どこがどうつながっているのか全くわからなくて散々迷った挙句帰ってきてしまった。
参考文献
[1] 『疏通千里・利澤萬世―生命を育む明治用水』
[2] 明治用水百年史, 明治用水土地改良区(1979)
[3] 神谷素光, 写真集明治大正昭和安城, 国書刊行会(1979)
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