エチュード Op25-9 演奏解説

 ショパンの練習曲Op.25-9「蝶々」を録音したので、いつもの解説。
 短い曲だから、そんなに苦労しないだろうと安易な考えで手を付けたんだけどかなり難しい。実際、短いだけあって譜読みはすぐに終わったんだけど、全然うまく弾けるようにならなくて困った。
 作品25の中では6番で3度、8番で6度、9番で8度、10番で8度と掴む音の距離が広がっていく構造となっている。また、9番目のこの曲で気軽な曲は終了、続きは10番, 11番, 12番と重量級の曲が続くことになる。軽快な長調としては最後の曲として楽しみたい。
 「蝶々」というタイトルはもちろんショパンが付けたわけではない。しかし、蝶々から想像する軽快な動きと、蝶々のイメージと合致する対称性がそこかしこに登場する。また、手の動きが蝶々みたいだと言う人もいる。しかし、あくまで「蝶々」とは後付けのタイトルであり、そのイメージに引き摺られるのは良くない。後半25小節からのフォルテや、33小節からのフォルテシモ蝶々のイメージとは乖離する。あくまで蝶々のイメージを大切にして演奏したいというのなら良いが、そこのところは理解しておいたほうが良い。
 楽譜はナショナルエディションを使ったけど、付録の解説書にはこの曲についての演奏に関する解説はないので、別にナショナルエディションを勧める理由はない。原資料に関する解説はあるけど、研究者でもなきゃ用はない部分なので、あっても全然有り難みを感じない。寧ろ練習法などがふんだんに盛り込まれているコルトー版が良いかも知れない。

全体的に
 練習し始めの頃は当然ながら十分ゆっくり弾いて、手が馴れるに従って少しずつテンポを上げていくのだけど、それなりに弾けるようになっても最初にゆっくり弾いて手の練習とするのにはよい。曲自体短いし、かなり細かい動きもあるのでその日の練習が捗る気がする。
 オクターブを軽やかに弾く練習なので、手首を柔らかくして手首の上下で鍵盤を押さえる。腕を上下させると動きが大きいために余計な疲労を呼ぶことになるし、動きが大味のなるので音に繊細さが欠けることとなる。この動きが身についていないうちは、ぎこちない動きになるかもい知れないけど、練習していればやがて脱力して弾けるようになるので、練習初期から手首の動きを意識するようにすると良い。手首を柔らかくするのだが、同時に指も柔らかくする。ただし、打鍵の瞬間だけは指はしっかりと固める。でないと、打鍵に費やすべきエネルギーの殆どが指の弾性変形に費やされてしまい、打鍵に必要な力をキーに掛けることができなくなってしまう。
 拍前半で16部音符2つに分散させてオクターブを弾く形になっている。基本的に下→上の順番でオクターブを押さえるのだけど、後に押さえる上の音が疎かになりがち。上の音を弾き損ねてもオクターブ下の音が出ていれば音楽として不自然な感じにはならないのであまり気にせずにスルーしてしまうことも出来る。人前で弾く場合はそうやって弾き飛ばしてしまうのも仕方ないが、練習の際はちゃんと音を出せるように立ち止まって反復練習しなければならない。
 拍後半ではオクターブの移動が多い。黒鍵→白鍵の順でオクターブ弾く場合、上の音の指使いは4→5となることが多いが、5指で白鍵を押したときに直前に押した黒鍵を4指で押してしまうことがある。本来、4→5とレガートに繋がっていれば5指を押すまで4指は黒鍵を抑えたままなのでこのタイミングで鳴らすことはないはずである。だから、こうして4指の黒鍵を押してしまうというのはしっかりとレガートになっていないことを意味する。また、5指で白鍵を押すと同時に4指を上げなければならないけど、4指は動きが悪くてそう易易とは上がってくれない。この場合、椅子を低くするとか背中を曲げるとかして手・肘を低い位置に持ってきて手先を少し上向かせるという風にして4指を上げやすくすることが出来る。ショパンの弟子のザレスカ=ローゼンガルトも「手首を低く保つこと」と言っている[6]。曲によって椅子の高さを変えるのは良くないので、手の高さは姿勢で制御することになる。
 オクターブの多い曲なので、弾きやすいように黒鍵の多い変ト長調となっている。黒鍵のエチュードOp10-5もそうなんだけど、黒鍵は指先で打鍵するのではなく、キーと指が交差するようにするとミスタッチが少なくなる。狭い黒鍵の上を指先という点ではなく、指全体を線として指とキーを交わらせる。ただし、白鍵はちゃんと指先で押さえないといけない。
 4小節で一つの主題となっており、これを変装して繰り返す形になっているため、起伏の乏しい演奏だと単調に聞こえてしまう。特に前半はleggiero(軽く優美に)で始まり終始弱音となっているので顕著である。pであってもその中で強弱が指示されているので、これをちゃんと守るだけで単調な演奏は避けられるようになっている。

テンポについて
 テンポはAllegro assai[1][2][3], Assai allegro[4], Allegro vivace[5]などがあるがどれも4分音符で112bpmとなっている。コルトー版には標準の演奏時間が1:07と書いてあるが、手元にある録音の演奏時間を並べてみると次のように大体1:00前後に固まっている。

Wilhelm Backhaus 0:52
Boris Berezovsky 0:58
Maurizio Polini 0:58
Rebecca Penneys 0:58
Vladimir Ashkenazy 0:58
Georges Cziffra 0:59
Alfred Cortot 1:00
Andrei Gavrilov 1:00
Murray Perahia 1:00
Takami 1:00
河合優子 1:00
Adam Harasiewicz 1:03
Istvan Szekely 1:03
Martijn van dne Hoeck 1:05
momo 1:05
Samson Francois 1:09
藤原由紀乃 1:20

 藤原由紀乃は1分20秒とかなりゆっくりの演奏だが、この中でも群を抜いて美しい演奏である。コンクールで競うのでもなければこういうゆっくりな演奏も良いと思うけど、仮令このテンポにしてもこれほど美しく演奏するのは常人には不可能じゃないかなと思う。ここまで極端にゆっくりにしなくても、1分10秒くらいのスローテンポでも十分よく聞こえる。というよりも、寧ろこの曲は早く弾くほど魅力がなくなっていく気がする。

座る位置について
 体の中心が真ん中のドの辺りか、あるいはもう少し左に来るくらいが丁度よいと思う。
 手をまっすぐ前に向けると指先の位置が1指よりも5指のほうが前に来る。他の指はもっと前に出てくる。

 キーは出来るだけ手前側を押すのが好ましいので、手を丸くして各指が同じように手前に来るように配置する。しかし、オクターブを弾くために手を広げると指を丸めて位置を調整する余裕はなくなる。手を小指の方に曲げること(尺側偏位)によって1指と5指は大体同じ位置でキーを押さえることが出来る。

 しかし、慢性的な尺側偏位はストレス損傷を引き起こす原因となる[7]ので、あまり好ましくない。
 すこし左側に座ると、自然右側に手を伸ばすことになり尺側偏位に頼らずに1指と5指の位置を合わせることが出来るようになる。もちろん、あんまり左に寄りすぎると弾くにくくなるので、丁度よい位置というのがある。それが体の中心が真ん中のドの辺りか、あるいはもう少し左に来るくらいである。

18小節

 この曲は基本的に同じような動きの繰り返しなので殆どの部分で共通の注意事項がある。それを18小節を代表して説明する。
 14小節
で主題を提示して、続く58小節
で主題の繰り返しという形を取っている。繰り返しとはいっても、各拍の1音目と2音目を入れ替えてちょっと違う風にしている。124小節目までの前半は同様の作りになっており、そのため8小節ごとのまとまりで見ると対象性の高い構造が多くよく見られる。
 右手は各拍1~3音目までスラーがかかっている。1指の動きを見ると例えば1小節前半はB→Cesと黒鍵から隣り合った白鍵への移動なので指を滑らせてレガートに繋げることは出来るが、1小節後半はDes→Esと黒鍵→黒鍵となっており、どうしてもレガートに繋げることは不可能である。こういう場合は1音目のDesは出来るだけ引っ張って3音目の直前で指を離して、Esに移る。その一方で、2音目のAs, Desをレガートに繋ぐ。1音目を切ってしまっても2音目が鳴っているので、音を切ってしまったことにあまり気づかれない。しかも、鳴っている音は切った音の倍音である。これでレガートでないと思うほうがおかしい。

 続くスタッカートだが、拍前半ほどは主張しない軽さで打鍵する。18小節では拍頭の音にアクセントが付いているが、9小節以降ではアクセントを付けるほどではないにしろ、拍頭の音は他の音よりも主張があるべき。拍頭の音が16部音符2つ分の音価を持っていることから、この音の重要性が示唆されている。
 左手は殆どの音にスタッカートが付いている。メゾスカッタートではないし、スタッカーティシモでもない、適切な長さのスタッカートで揃える。
 左手裏拍が和音となっているが、この和音は一番高い音をちょっと強調する。一番上の音が別の旋律のようなものを描いているためである[8]
 右手の内声は大抵左手の和音に含まれていることを知っていると、譜読みがちょっとだけ捗る。

13小節
 ☆譜読みのために:左手のベース音が1音ずつ下がっていく。各小節では和音が基本形→第1回転形となる。

12小節

 ●右手2音目。CBは25で取るにはかなり距離があり、ギリギリまで指を開いてDesを避けるようにして取らないと余計なキーに触れてしまう。難しそうなら諦めて15で取るべき。
 ※右手2拍目。2回出てくるDesは2指で取る。これを3指で取ってしまうと、最後のDes-Fの和音を3-5で取ったときに間の4指がこの動きに引きずられて下がってしまいEsのキーを押してしまう。
 *左手2音目。4和音で音が多い上に5指で黒鍵を押すので非常に弾きにくい。Cを押さえる1指以外を真っ直ぐに伸ばして平ぺったい板状にする。この形にした2~4指で該当する辺りのキーをテキトーに叩くとEs, Ges, Asに上手く当てることが出来る。

14小節

 ✡右手1音目。このGは黒鍵と黒鍵の間を押さえねばならず、普通に上から押さえるのは至難の業である。1つ前、13小節最後のCのオクターブのときに、2指をGの位置にスタンバイしておき、14小節はじめでDesに4指を伸ばす動きに合わせて2指を鍵盤奥に押し込み、24指で同時にキーを押し下げる。
 ◎左手最後。ここを135ではなく124で取るのは、135だと黒鍵に対して指が真っ直ぐになって外しやすく、124だと指と黒鍵が斜めに交わるので打鍵が正確になるため。

21小節

 ▲右手がかなり高い音であり、普通に手を伸ばしてオクターブをつかもうとすると手が鍵盤に対して斜めになってしまい、手を開く広さや跳躍感覚が曖昧になってしまう。座る位置を右に移動しても良いのだけど、ここの4小節だけなので上体を右に移動させて弾く。左手が降りてくるに従い、元の姿勢に戻るようにしたら良い。

2324小節

 左手、裏拍の3和音。下から順に半音ずつ下がり、最後は下がった先のFが変ト長調の導音となって、続く25小節で主題が再現するようになっている。このギミックを入れるために23小節は右手内声のEsを左手の和音に含めることができなくなっている。
 この次の25小節からフォルテになる。いきなりフォルテにしちゃ駄目ということはないが、24後半でEsesにアクセントが付いており、フォルテの準備となるようにはなっている。2324小節は続く25小節へ期待を持たせるような進行になっているので、これに合わせてちょっとずつ音量を上げても良いと思う。あるいは、この4小節でペダルを強く踏んでいって音量を上げるという手もある[8]

36小節

 ritenutoの後にa tempoの指示がない。元のテンポに戻さないと明らかに不自然であり、こういう場合はa tempoがなくても元の速度に戻す[9]。なお、コルトー版ではちゃんと"a Tempo"と書いてある。

3738小節

 ☆37小節前半までffで、Desを押した直後にペダルをオフにするのでDes以外の音は消える。Desは指で保持するため、ペダルをオフにしても残る。このDesはffのときに押した音なので38小節の前半まで残ることになる。37小節後半からはpなので、このDesはかなり目立つ。
 コルトーはこのDesを41小節まで保持しても良いとしている。

3844小節
 譜読みのために:この間、左手は全て同じ音になっている。

4551小節

 ◎右手。各拍同じ音型が続く。和音部分は上声部を主張したいが、3音目のCesだけは白鍵であり他のキーよりも1.2cmほど低い位置にあって押しにくい。そのことを意識してしっかりとキーを押し下げる。前2音と後2音では手のポジションが異なる。ポジション移動を怠らないこと。手首が円を描くようにポジション移動をする。

51小節
 右手、最後のひとかたまりはスラーで繋がっているので、ちゃんと音をつなげること。
 また、最後のB-Gesはスタッカートが付いている。スタッカートであって、スタッカーティシモではないので、短く切りすぎないこと。

参考文献
[1]Jan Ekier, CHOPIN 2 ETIUDY, Wydano w Akademickim Centrum Graficzno-Marketingowym LODART S.A.(2000)
[2]小坂裕子, フレデリック・ショパン全仕事, 株式会社アルテスパブリッシング(2010)
[3]下田幸二, 聴くために弾くためにショパン全曲解説, ショパン(1999)
[4]ショパン・ピアノ作品便覧, ドレミ楽譜出版社(1993)
[5]アルフレッド・コルトー, ショパン 12のエチュード Op.25, 全音(1997)
[6]ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル, 弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学, 音楽之友社(2005)
[7]トーマス・マーク, ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと, 春秋社(2006)
[8]横山幸雄教授のレッスン映像公開第21回 エチュード 作品25-9 変ト長調
[9]小林仁, ピアノが上手になる人、ならない人, 春秋社(2012)

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