数学のこと

Montag 21. Januar 2008.
 小中高校と数学を学ぶにあたって数学的思考がより自由になっていく。というよりも、より自由な考え方が許され、また、要求されるようになる。よく物を知らない子供は自由な発想ができるという人がいる。たしかに発想は自由だが、論理的に整合性が取れていないものが殆どだ。稀に先入観のなさゆえに正しい結論を導くこともあるが基本的に期待するべきではない。
 どこら辺が自由になるかというと、例えば小学校1年生で引き算を習ったとき、引く数が引かれる数よりも大きくてはいけないと教えられなかっただろうか。中学校で負の数という概念を学ぶことによってこの束縛から解放される。僕は小学校のときこの解放を願ってやまなかったが、いまでは割とどうでもいいことだ。割り算の不自由は困ったもので計算の手間と出てくる結果の不毛なこと、少数で表現するからそうなるわけだが、分数を自由に扱えるようになると掛けるは分子、割るは分母とまったく計算することなく答えに近づく。最終的には約分という面倒が残るんだけど。
 さて、中学で習う制限は根号の中の負号とグラフだ。方程式の解は必ず実数でなければならないという縛りがあるため、根号の中が負の数であってはいけない。グラフは決まったフォーマット、1次曲線、原点が頂点となる2次曲線、双曲線でしか表現してはいけない。高校で複素数を習い、微分を習うあたりでかなり自由になる。グラフについてはこの時点ではまだ与えられたグラフを読み解くだけで、自分から構築することは難しい。
 それで、次第に自由になるのだが、いつまで経ってもやってはいけないことがある。0で割ることだ。こればかりは何が何でもできない。極限を取って0に近づくことはできても0にはなれない。数学界のタブーなのだ。この0で割るということについて研究すると、何かものすごいことが起こりそうな気がする。異端も異端だ、数学界の爪弾き者になること必至だろう。その上、きっと生きているうちには評価されないだろうな。