ピアノの練習時間

 ショパンはピアノの練習を1日に3時間以上してはいけない、何時間も練習したって集中できなくなるので、長時間練習してないで本を読んだりアニメを見たりして精神修養に心がけよ、というようなことを言っている[1]

 ショパンが何よりも恐れていたのは、弟子の練習がマンネリになって感覚が鈍くなりはしないか、ということでした。私が、1日に6時間練習しているといいますと、ショパンはひどく怒って、3時間以上はしてはいけない、とわたしに言い渡したのです。
  デュポワ/ニークス
 長時間かけて練習しないで練習の合間には読書をしたり、傑作をじっくり調べたり、気分転換に散歩でもしなさい、と彼は口癖のように弟子に言うのでした。
  グレッチ/グレヴィンク
 ただ機械的に練習を繰り返せばよいというものではい、練習には全身全霊をあげて集中しなければならない。と彼は口癖のように言っていた。だから気が乗らないのに同じことを20回も40回も繰り返せ、などとは言わなかったし、それよりももっと嫌がったのは、カルクブレンナーが進めるような、ピアノを弾きながら読書もできるような練習の仕方だった。
  ミクリ
 ショパンは精神の集中を第一に考えて独自の技法を編み出したのであり、単なるメカニズムの練習を何時間も繰り返したわけではない。ニコラ・ショパンは、息子が3年間カルクブレンナーについてみるかどうか、まだ迷っているとき、「知っての通り、お前は演奏のメカニズムにはほとんど時間をかけず、指のことよりも精神の集中に余念がなかったのだよ」と、書いてきている。
 この点については(他の点についても同じだが)ショパンは当時のピアノ流派のほとんどに、そしてリストにも背を向けていると言える。リストはこの頃には「技法は精神の働きから生まれる」ことに気が付かず、単なるメカニズムの練習を尊んでいた。「・・・私は、4,5時間も練習している(3度、6度、オクターヴトレモロ、反復音、カデンツァなど).ああ! もう気が狂いそうだ――私がどれほどの芸術家か、君にそのうち分かるよ」と、リストはパガニーニを聞いた後に、ピエール・ウォルフに宛てて書いている。同じ頃、彼は弟子にも同じような要求をしている:「アルペッジョとオクターヴをあらゆる調子で弾くこと、使わない指は鍵盤を押さえたまま、順番にすべての指で音を弾いていくこと、音階を速く強く弾くこと、要するに手の練習になることなら何でも、1日に少なくとも2時間やるように彼は進めてくれた」。
 だから、ショパンが3時間以上は練習(指の訓練、エチュード、曲を含む)しないよう人に言っていたのに対し、同じ頃リストが自分でも実行し、人に勧めていた指の訓練は、場合にもよるが、そのくらいではとても足りないものであった。フンメルは「既に上達したピアニストの多くが、目標に達するには1日少なくとも6,7時間は弾かねばならないと、頭から思い込んでいる。それは間違いなのだ。毎日規則的に3時間集中すれば十分だと、私はそういう人たちに断言できる。それより長く練習しても精神が麻痺してしまって、演奏は魂の抜けた機械的なものになるし、いくら練習に熱を上げても、しばらく中断しなければならなくなってしまうようなことがあると、もう指は思うように動かないという破目になるのがほとんどだ。そういうときに演奏の依頼があったりしたら、調子を取り戻すには何日もかかるのだから、本当に困ったことになる」と説いている。

 ショパンは1日3時間以上練習してはいけないと言っているのに対して、同時代のリストは1日14時間練習していた。この2人はどちらも天才なのだけど、この練習時間の比較だけを見てもリストは努力の人という感じがする。ただし、リストの晩年の作風には若い頃の派手派手しさが鳴りを潜めた感じがあることから、もしかしたら考えが変わった可能性もある。リストに関してはあまり文献を読み込んできていないので確かなことは言えないのだけど、今後そういう文献に当たったら書き改めたい。
 それで、実際にはどれくらい練習するのが適当なのかということだけど、僕の考えでは人それぞれとしか言いようがない。
 ショパンほどの天才ならば短い時間の練習で十分なのだけど、凡百のピアニストが真似してやっていけるとはとても思えない。あまり練習しないピアニストと言うとグレン・グールドが有名[2]だけど、話を聞くに彼の場合はメカニカル部分の練習を全く必要としないとても羨ましい体質であるらしく、それなら常人が多くの時間を費やす練習を劇的に減らすことができるのだろう。ショパンも非常に体が柔らかくウンヌンカンヌンという話はよく聞くところである。

 グールドの天才の証明の一つとして、先程の「ピアノに問題がない」と関連して、「全く練習しなくても弾ける」ということがあげられる。
 「あまり練習していない」というのは、ステージ演奏家にせよ音大性にせよ、一種の慣用句のようなものである。実際には朝から晩までピアノの前に座っていても、それほど練習しなければ上手く弾けないことを悟られたくないという心理が働く。とくにコンクール前などは、ライヴァルたちを牽制する意味でも「さらってない」と言う。
 しかし、グールドは本当に練習しなかったようだ。『グレン・グールド 神秘の探訪』の著者、ケヴィン・バザーナがグールドの残したメモを見たところによると、1970年以来、もし練習するとしても半時間、大抵は1時間で、2時間以上のことはけっしてなかったという。
 レパートリーをつくっていて、新しい曲をたくさん準備していた13歳の頃でさえ、1日に3時間程度しか練習しなかった、とグールドは言う。それですら彼の演奏人生では厳しい練習スケジュールが組まれていた唯一の期間だった。
 プロになってからは、必要に応じて「楽譜の構想を強化する」目的から練習することはあっても、楽器との接触それ自体のために練習することはなかった。
 この習慣はニューヨーク・デビュー前に既に確立されていたらしい。ジョナサン・コットとの対話をまとめた『グレン・グールドは語る』で彼は、19歳の頃、初めてベートーベンの《ピアノ・ソナタ作品109》を弾いた時のエピソードを明かしている。
 デビュー前だったが、「当時でさえ、楽器の奴隷になりようがなかった」。完璧に暗記してからピアノに向かう習慣がついていたので、初演の2,3週間前に譜読みを始め、1週間前に練習をスタートさせた。自殺行為に聞こえるかもしれないが、それがいつものやり方だったのだ。

 凡夫が地道にメカニカルの練習をしているあいだ、音楽に没頭できるのだからそりゃ物凄く有効に時間を使えることだろう。こんな天才に並ぶためにはリストレベルの才を持った上、毎日14時間もの練習をしなければならないというわけである。

 ここまで、3時間の練習時間が短いという話をしてきたけど、実際のところプロの演奏家でもなければ目指しているわけでもない普通の人にとっては、学生であれ社会人であれ1日3時間の練習量というのは凄く多い。金子一朗の言う通り[3]とにかく時間がないのだ。プライベートの時間とか勉強時間とか読書とかアニメとかを相当量犠牲にしなければ続けることはできない。音大生でもないのに1日3時間も勉強時間をピアノの練習に費やしていたらとても学業を成就するなてできないわけである。そういう意味でならショパンの言う1日に3時間以上練習するなんてとんでもないというのは正しい。
 そんなわけで、プロでもない人が3時間が多い少ないと論じる事自体にあんまり意味がなくって、現実的に毎日3時間も時間をとることができないのである。

参考文献
 [1]ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル, 弟子から見たショパン そのピアノ教育法と演奏美学【増補・改訂版】, 音楽之友社(2005)
 [2]青柳いづみこ, グレン・グールド 未来のピアニスト, 筑摩書房(2014)
 [3]金子一朗, 挑戦するピアニスト, 春秋社(2009)