物売りの声

 寺田寅彦随筆集5巻を読んだ。色々と思うところもあり、そのうち全体を通して感想文のようなものを書きたいなと思う。
 寺田寅彦というのは夏目漱石の弟子で東京帝国大理科大学教授をやってた人。
 この中に「物売りの声」と題する短文が載っていた。
 全文引用するにはちょっと長いので、青空文庫につなげておく。

 物売りの声(魚拓)

 簡単に内容を紹介すると、豆腐屋のラッパの音から始まり、各種の物売りの特有の旋律があるが、いつの間にか聞かなくなるものもある。それらについて以下のように結んでいる。

 売り声の滅びて行くのは何ゆえであるか、その理由は自分にはまだよくわからないが、しかし、滅びて行くのは確かな事実らしい。  普通教育を受けた人間には、もはやまっ昼間町中を大きな声を立てて歩くのが気恥ずかしくてできなくなるのか、売り声で自分の存在を知らせるだけで、おとなしく買い手の来るのを受動的に待っているだけでは商売にならない世の中になったのか、あるいはまた行商ということ自身がもう今の時代にふさわしくない経済機関になって来たのか、あるいはそれらの理由が共同作用をしているのか、これはそう簡単な問題ではなさそうである。それはいずれにしても、今のうちにこれらの滅び行く物売りの声を音譜にとるなり蓄音機のレコードにとるなりなんらかの方法で記録し保存しておいて百年後の民俗学者や好事家に聞かせてやるのは、天然物や史跡などの保存と同様にかなり有意義な仕事ではないかという気がする。国粋保存の気運の向いて来たらしい今の機会に、内務省だか文部省だか、どこか適当な政府の機関でそういうアルキーヴスを作ってはどうであろうか。ついそんな空想も思い浮かべられるのである。

 楽譜に取るくらいなら誰でもできるんだから、お前がやれよって思わないでもない。日本の歴史、文化の面から価値があるのかも知れないけど、政府が音頭を取るというよりも、民間や学者の仕事じゃないかなと思う。ともあれ、まとめとして書籍の1冊でも出版してしまえば数百年は伝えることはできるだろうから、一つの手ではある。
 ここで出てくる物売りの呼び声というのも、豆腐屋のラッパくらいしか聞き覚えがない。この手の物売りの声で知っているものというと、豆腐以外には焼き芋、竿竹、古新聞回収、わらび餅くらいのものだけど、地域によってあったりなかったりはすると思う。
 さて、岩波版の失われた時を求めて10巻には1900年頃パリでの物売りの楽譜が多数掲載されていた。

・古着屋

・研屋

・プレジー

・牡蠣

・樽屋

・ガラス屋

・莢隠元

フロマージュ

・白ブドウ


 これらはジョルジュ・カストネル「パリの声」(1857)、バルザックゴリオ爺さん」(1835)、ヴィクトル・フルネル「古きパリの街路」(1879)、シャルパンティエ「ルイーズ」(1900)などに描かれているらしく、寺田寅彦が「物売りの声」を書いた時点では既にパリではそういった記録がなされていたということになる。あるいは、寺田寅彦がフランスに行ったときにこのような文献を見たことがこの記事を書くきっかけになっているのかも知れない。

 それはそうと、現代では物売りの声というものはお魚天国とか日本ブレイク工業社歌とかいった楽曲もあるが、主流はテレビなどのCMであることは間違いない。寺田寅彦の時代よりもその量は格段に増えており、年間に何百も作られるCMをアーカイブするというのはなかなかできることではない。とはいえ、実際のところYouTubeを漁ると大概のものは出てきてしまうことから、それなりにアーカイブ出来ていると考えて間違いない。政府の機関がアーカイブするべきと言っていた寺田寅彦は、この一社依存の体制を良しとはしないかもしれないが。