最近、世界樹の迷宮IIの初回特典に付いてきた楽譜「生死を分かつ激闘の響き」を弾けるようになって、毎日こればかり弾いている。リズム感がはっきりしていて非常に楽しい。
前々から定期的に話題にあがる小学校のかけ算の順序にこだわる問題について。
東北大学の先生が噛みついているということでblogosで取り上げられている。
東北大学の黒木玄氏が“掛算の順序にこだわる教え方”に関して意見表明をしろとツイッターで呼びかけていた*1ので、微力ながら“掛算の順序にこだわる教え方”への反対意見を表明をしてみたい。 “掛算の順序にこだわる教え方”と言われても理解できない人が多いと思うが、小学校の算数で問題文と数式の構造を強く結びつける教え方だ。例えば1個100円のリンゴが5個ありその総計金額を求める場合、100×5=500と立式するのが正解になり、5×100=500が不正解になる。わけが分からない? ─ 私も良く分からない。 驚くべきことに、最近の小学校では交換法則(可換則)を教えた上で“掛算の順序にこだわる教え方” xとyと言う変数を使っているので小学6年生に教える内容のようだ。「常に式の意味をしっかりと 彼らはx円のノート8冊の代金はx+x+x+x+x+x+x+x円と考えるらしい。加法から乗法を 学習指導要領では推奨されていないのだが、教科書の出版社と小学校教師に支持されている。 |
こんな事で不正解とされて、子供が数学が嫌いになったりしたらそれこそ損失なんだけど、そもそも数学の嫌いな先生がこういう教え方をしているのではないかと疑わざるを得ない。
理不尽な不正解でその科目を嫌いになるという点で思い出したことがある。漢文の現代語訳で「どうして○○だろうか、いや○○ではない(反語)」という定型文。これを「どうして○○だろうか」と書くと必ず間違いにされる。国語の先生曰く、通常の疑問文と区別がつかないから、ということらしい。文脈見れば明らかやん、そんな気持ち悪い言い回し現代語じゃあしないよ、とか言っても通用しない。かといって「○○ではない」と否定文で書いてもやっぱり不正解になる。高校1年生の時に非常に嫌な思いをした。
この2件について同じに論じるのはあまり適切ではないかもしれないけど、生徒の気分としては同じようなものなので並べた。最近この問題についての回答を得たので紹介する。
ネタ元は数学ガールの秘密ノート式とグラフ。ここに、≪答案は、採点者へのメッセージ≫という書き方をしている。いくらか抜粋してみる。
「いいかい、ユーリ。確かにこの答案を解読すれば『ああ、この答案を書いた人は、こういうことを考えたんだな』と推測できる。がんばって推測すれば、ね。でもね、それじゃ採点者に甘えていることになるだろ?」 「問題を解いて回答を書くときは、読む人に対して、 ・私は、こんな風に考えました。 ・だから、こんな風に解いていきます。 ・ほら、ちゃんと解けたでしょう。 みたいにアピールするんだよ」 「≪何を、どう考えたか≫が分かるように、順序立てて書いていけばいいんだから。最初は、問題の連立方程式をそのまま書くよね」 「さっきから話しているのは答えじゃなくて答え方なんだ。ユーリの答えはいいけど、答え方はよくない。」 「問題をよく読んでごらん、ユーリ。これは『次の連立方程式を解きなさい』という問題だよね。だから、連立方程式の解き方がきちんとできているかどうかをアピールするのがいいんだよ。≪問題をよく読もう≫ということだね」 「うん、もちろん答えが正しく合っているることは大事だよ。でも答えだけじゃなくて答え方にも注意してほしいな。一歩一歩を確かめながらていねいに書くことができたら、自分が≪ほんとうにわかっている≫といえる。だから、ていねいに書くのは自分のためでもある。いつもいつも『答えがあってればいいじゃん!』と書き散らしてちゃダメだよ」 |
といった感じなんだけど、結局正誤を判断するのは採点者なのだから採点者にとって気分の良い回答をしろということ。言葉が足りなければ採点者に答案で主張したいことを理解してもらえないし、採点者の知性には一切期待してはいけない。英語の問題で文末にピリオドがないと不正解にされるけど、「そこで文章終わってるのなんて見りゃ分かるだろ」とか言っても意味はない。その程度の判断力さえも採点者には期待してはいけない。
掛け算の順番の話に戻ろう。この場合、採点者は式を立てる時この通りの順番でなければならないという信仰を持っているためどんな議論も通用しない。数学の話ではないのだから論理なんてこねまわしても仕方がない。採点者がそう信じているからその通りの順番でなければ不正解となるのは、文末にピリオドがなかったり、反語の現代語訳で「いや○○ではない」とついてないと同じ扱いになる。
そんなわけで今日の教訓。採点者に媚びろ阿ろ!