高牟神社行ってきたよ

     名古屋市千種区にある高牟神社に行った。この神社に行こうという目的があったわけではなく、すぐ近くでコンサートがあったのだが、開始までに少し時間があったので付近を散策していたら見つけたのだ。
     生憎の雨で(というか台風接近中でこのあと電車が止まった)満足に写真が撮れていないが、折角なので載せておこうと思う。どういうわけか本殿の写真を取るのを忘れていた。高牟神社はそこそこメジャーな神社なので、他にも写真をアップしているサイトが多くあるので、どうしても本殿の写真を見たいという方は他のサイトを当たっていただいたら良いと思う。

     高牟神社は物部守屋由来の神社だそうで、「牟」という字が「鉾」を表すということで物部氏の武器庫が由来になっているとか。

    牛の神使



    古井の霊水


    高牟龍神社と北野天神社

     古井の霊水の隣にある。

    元古井伝説地


    元古井伝説地

     昔、この辺りは常世の草香島と呼ばれ、あちこちから清泉が湧き出ていたところで、後に井となり、元古井の地名の起こりとなったといわれ、その跡が今も神社の境内に残っている。

     また、この付近一帯は、尾張物部氏の集落の一角であったといい、村人たちの武器や農具を収めた倉が、後に高牟神社になったといわれている。

     名古屋市教育委員会

    メインの大鳥居


    東側の鳥居


    頌徳碑


     頌徳碑

     宮司石黒黒藏三翁

      神社本庁講師 森茂雄書



     翁は明治7年2月24日生れ 資性温厚にして 明治41年3月14日請われて実兄小島和泉(権太夫)のあとを受け 高牟神社社司兼務物部神社社掌を拝命す

     「神明奉仕は清掃から」と云う翁の社頭清掃奉仕は夜明前の暗いうちから一人黙々と一日も休むことなく続き 或人は清々しい後ろ姿を拝みたくなるようなお方だと尊敬申し上げ まことに無言の教化を実行した神主さんでした 翁の無私無欲唯々神明奉仕に献身精進の真心が氏子崇敬者の敬神再建の熱意を促し 大正15年10月13日本殿社務所其他社殿の造営となり面目を一新し 昭和15年10月県社昇格記念事業と本殿拝殿の新改造営 閑院宮殿下御宿泊所の中村家別邸を斉舘として特に寄進移築となり社頭の整備発展す 昭和27年7月戦災した本殿祭文殿も再建 遷宮祭を奉仕し 翌昭和28年2月4日立春八十歳を天寿として50年近い神明奉仕を閉ず

     指内戦災神社でいち早く復興し 屈指の産土神社と繁栄し これも翁の遺徳 功績のお蔭と敬仰 追慕の情深きを覚ゆ 翁の輝かしき神明奉仕の一代も常に内助の功の誉れ高き

     石黒みつ婦人(明治13年7月13日生 昭和44年3月4日帰幽)が夫君の心を心として誠心誠意の件婦の労を尽くし力あったことを付記す 茲に氏子相議り永くその功を讃へ徳を仰ぎこの碑を建つ

     昭和60年2月4日

      高牟神社専務総代 代表 石田錠太郎

      神宮評議員 家田照子

    千本鳥居じゃないけど、ちっこい鳥居がたくさん並んでる


     土地がないのか、とても窮屈である。

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