シンフォニア1番 演奏解説

 シンフォニア1番を録音したのでいつものように解説する。とは言っても、バッハは情報量が多く、音楽的な部分を語りだしたらきりがないので、自分が演奏する上で気を使った部分だけを紹介する。細かい解説を読みたいという方はバッハ インベンションとシンフォニーア 解釈と演奏法あたりを読むと良いと思うし、こんなお高いものに手を出したくないという方は全音版の最後に同書の簡易版のような説明が載っているので、それでも良いと思う。
 この曲は毎日音符の通り指を動かして漫然と練習しているうちに何となく指がこなれてきて、それなりに弾けるようになってくる。そうなると、それまで音楽的に聞こえなかったのがどこか魅力的に感じるようになって練習に身が入ってくる。この頃が一番楽しい。それで、楽譜を眺めながらどうやって弾こうか考える。だいたい弾けるようになると、テンポを上げだして技術的にまずい部分を洗い出していくことになる。最後は仕上げて録音するのだが、録音してみると改めて拙い部分が見つかり、また練習することになる。
 独学でやっていると、どうしても自分の演奏を聞く機会がないのでどこが良くないのかなかなか見つけられない。その点、録音してみると、自分で上手くやっていると思っていても音が途切れていたりということがよくある。だいたい技術的に難しい部分なので、演奏中に自分の音をしっかりと聴いている余裕がないためである。
 楽譜は上記の全音版を使った。

・テンポについて
 市田儀一郎によるとModerato 4分音符で70bpm[1]なので21小節×4部音符÷70bpm×60秒/分=72秒となる。今回はModeratoなんてトロくてやってらんねーぜ、と言ってだいぶ速く弾いた。92~94bpmくらいだと思う。その所為で完成させるのに手こずったし、殆どの装飾をスルーしている。
 ちなみにグールドは更に速く、112bpsで疾走している[2]

・声部の弾き分け
 シンフォニアは3声の練習曲なのでそれぞれの声部をしっかりと弾き分けなければならない。そのために大切なのは正確な音価で演奏すること。現代の記譜法だと打鍵時に音価を一緒に表記するけど、離鍵のタイミングの部分にはそれと分かるような記述がない。ピアノロール形式で表示すれば離鍵時にそれと分かるけど、見づらすぎて実用性皆無である。結局、打鍵時にいつまでキーを押し続けるかを覚えておくしかないのである。そして、最後は誰かに指導してもらうか、録音して確認しないことにはちゃんと弾けているかは分からないのは上記の通りである。
 声部毎の音量とか粒の揃いとかで別の声部であることを示すことができる。主張すべき声部は強く弾いて、影に隠れる声部は弱く弾くというのは常識的な話である。
 ノンレガートとかスタッカートで弾くというのもあるが16分音符でこれをやるのはなかなか難しい。
 そもそも、弾き分けで気を使わなければならないのは声部の距離が近い音についてである。ゴルトベルク変奏曲では頻繁に声部が交差するが、この曲では1度まで近づくだけで交差はしないので、まだ弾きやすいとも言える。弾き分けで気を使うのは近い声部の部分だけで、だいたい5度以上離れてしまえば脳は勝手に別の声部だと認識してくれるのであんまり悩むこともない。
 手元を見て弾く場合はあまり気にならないが、楽譜を見ていると割と手元がおろそかになって、指同士が干渉したり、黒鍵とかに引っかかったりする。離鍵時はしっかりと指を上げるように心がけると良い。

・主題について
[3]
 4拍+2分音符の合計6拍に渡る主にスケールにちょっと手を加えた主題。スケールに手を加えた主題というとインベンション1番を想起するがバッハ自身もその点を意識して書いたのだと思う。
[4]
 インベンション1番の主題の変装はとても良い教材で、作曲やアレンジが如何に敷居の低いものであるかを表現している。指を動かすだけの練習曲ではなく、inventionという言葉の持つ発明とか創作とかいった意味をこの主題に込めているのである。
 シンフォニア1番の主題の話に戻すと、ある程度の長さのあるこの主題はインベンション1番ほどに弄くり倒したりせずに原型を留めたままにアレンジしており、転調か反行型かといったものばかりなので主題の存在が分かりやすくなっている。
 主題については一貫した構造をもたせて演奏する。例えば、オリジナルの上行型ではクレッシェンドして、下降する反行型ではデクレッシェンドするとか。特定の音にアクセントを付けるのであれば、全ての主題に於いて同様の考えに基づいた強弱とするとか。そういった小細工によって主題の存在が際立つ。また、他の声部が主旋律となって主題が脇役となるときはちゃんと音量を控える。

23小節

2小節
 ◎4拍目右手。このDの音が出ないことがよくある。手元を見て弾くとちゃんと音が出るのでなかなか原因を特定するのが難しいのだが、暇をしている2指が弛緩して垂れ下がってきた挙げ句、キーを押し下げているため、その上から押しても音が出ない。2指は次のCの上で待機させておけばちゃんとできるようになる。

3小節
 ✡右手、最初のHGのタイミングがバラけることがある。直前の2小節4拍目を押さえるポジションだとHは押さえられるがGは押しづらいので、3小節目に入ってからポジション移動してるとGが遅れるため。2小節目の最後の方で予めポジション移動を済ませておけばタイミングを合わせられる。

6小節

 右手4拍目のトリルについて。バッハのトリルは基本的に上隣接音から弾き始めるのだけど、ここでは中声部と上声部で連続5度進行ができてしまう。連続5度と連続8度の進行というのはクラシックの音楽家の特に和製の大好きな連中が蛇蝎の如く忌避するものであり、あの手この手で避けるように指導する。この部分も議論沸騰である。以下のような弾き方が想定される[4]10小節も同様。

 よく言われるのが②の主要音から始める弾き方である[1][3]。僕自身は連続5度の忌避感を持っておらず、気にせずに原則通りの①上隣接音から弾き始めるようにしてる。だいたい、弾き始めが左手の4拍目と一致しないし。
 そもそも、何故連続5度と連続8度の進行がダメとされるかというと、それぞれの声部の独立性が妨げられるからである。8度だと露骨で分かりやすいのだけど、独立した声部であるべきところがユニゾンになって同一の声部と見做されてしまうのである。8度という距離は波長が2倍であり、完全に共鳴するためぴったり同じタイミングだと和音であることに気付かない。プロのピアニストの演奏するぴったり揃ったユニゾンがそれである。5度はというと、純正律では波長に1.5倍の差があり、こちらも共鳴に近い音となる。本来、ただそれだけのことであるが、これが教科書に「連続5度と連続8度の進行は禁忌である」なんて書かれてしまったせいで、「ダメなものはダメ」という思考停止に陥ってしまったというのが実際のところである。
 ダメとは言うけど、そんなに厳しく取り締まる程のものではないというのが僕の考えである。だいたい、言い出しっぺか知らんけど当のバッハさんが平均律1巻10番フーガで堂々たる連続8度を披露してくれている[5]。「もっと緩くやろーぜ」ってバッハさんも言ってんだよ。
 ちなみに、この平均律の連続8度について、市田儀一郎は連続8度とは書かずにユニゾンと割り切ってしまっている[6]。連続5度は避けるべきだと言ってトリルの原則を曲げてるのに、こちらは何の釈明もなしですか、そーですか。その点、矢代秋雄はバッハの考えを読み取って立派である[7]
 なお、マジメに連続5度や連続8度を演奏するというのなら2声の音色を変えて演奏するというのはアリかもしれない。音色を変えると行っても楽器を変えるのではあまり意味がなく、一方をレガートで一方をスタッカートにするとか、打鍵タイミングを僅かにずらすとかである。

7小節

 左手2拍目。左手の下降スケールを543と通常の逆の指使いで弾いている。これは多分僕の指が、4指が長くて5指が短い形をしているので、この5→4の指使いは割と自然にできる。万人にオススメできる弾き方ではないが、手の形次第ではこのように普通でない指使いが弾きやすいこともある。

8小節

 右手上声部1拍目から2拍目のD→E。4→3という指使いで酷く弾きにくい。3指が4指を跨ぐように表記されているけど、実際は4指をキーに対して真っ直ぐに立てて、3指が4指の横を通り抜けるようにして弾く。

10小節

 ※右手4拍目。本来であれば3432という運指が自然なのだが、1音目と2音目で別のフレーズに入れ替わるため敢えて不自然な運指でフレーズの境界の不連続性を表現する。したがって、不自然な流れになってよいのは1音目と2音目の間だけであり、続く下降スケールは滑らかに弾かなければならない。
 ☆左手3拍目のEHをミスタッチしがちである。5度の広さを15指で取るのだから掴みやすい筈なのだが、直前まで4指でAを押しておりA→Eの4度の跳躍を4-5指で行わなければならないため外しがちになる。この距離を意識して跳躍すると良くなる。

1213小節

12小節
 ☆後半左手、中声部が入ってくるところ。この部分をレガートに繋げるには小細工がいる。譜例の通りa→b→c→dとする。GAは鍵盤の手前、ECisは鍵盤の奥側を押さえるのだが、奥側は黒鍵があるため押さえにくい。そのため、キーを押しやすい位置にポジション移動しなければならない。a. GAは鍵盤手前の方を1指だけで押し、そのすぐ奥の黒鍵のない部分を2,3指で置き換える。ついで、4指をFisの左側に沿って奥に持ってくる。b. FHのFは4指をそのまま奥の方で打鍵、Hは1指で手前側を打鍵し、そしてHは奥の方で2指に置き換える。これで左手全体が奥に来ることになる。c. ECisはそのまま奥の方で5,1指で打鍵。5指を4指に変える。d. DDのオクターブ、下のDはすぐ隣なので問題ないとして、上のDは1指をCis→Dへと滑らせて打鍵する。

1314小節
 16分音符のパッセージに意識を取られていると13小節後半から14小節4分音符の上声部が途切れやすい。基本的に上声部は重要度の高い声部なので、独立した旋律であることをよく意識して表現すること。

14小節
 ※右手1拍目の4音目のCを1指で取るところの指くぐりがしづらいのは手の位置が低く、1指が手の下をくぐるスペースが狭くなるため。1音目のBGを25で押した直後から指を立てるようにして手の甲を高い位置に持っていく。すると1指のためのスペースを十分に確保することができる。

21小節

 最後。楽譜には書いていないが、譜例のようにFHに装飾音が付いている場合があり、2分音符で演奏する。装飾音ありの方がよく聞こえる。

参考文献
[1]市田儀一郎, インヴェンションとシンフォニア, 全音楽譜出版社(1987)
[2]Glenn Gould, インベンションとシンフォニア, SONY(1964)
[3]市田儀一郎, バッハ インベンションとシンフォニーア 解釈と演奏法, 音楽之友社(1971)
[4]村上隆, ピアノ教師バッハ―教育目的からみた『インヴェンションととシンフォニア』の演奏法, 音楽之友社(2004)
[5]D.F.トーヴィ, バッハ 平均律ピアノ曲集第1集, 全音楽譜出版社(1998)
[6]市田儀一郎, バッハ 平均律クラヴィーアI 解釈と演奏法 2012年部分改訂, 音楽之友社(2012)
[7]矢代秋雄, 小林仁, バッハ平均律の研究1, 音楽之友社(1982)

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