ショパン プレリュード4番 演奏解説

 ショパンのプレリュード4番Op28-4を録音した。色々と上手く行かないことが多いので、コイツを弾くくらいは出来るだろうと思いっきりハードルを下げた。
 この曲は技術的に容易なので、普段通りだとあんまり書くことがないんじゃないかなっていう気がするけど、それはそれで細かいことを考え出す。普段は割と閑却しがちなショパン独特の表現方法についてである。今回、楽譜は全音版を使ったが、ショパンを表現しようとする際に全音版は甚だ不適切である。編集による独自改変がかなり多く、普通の作曲者と同様の表現に書き改めているため、本来ショパンがどのように表現したかったのかが見えなくなっているためである。ナショナルエディションが欲しくなってくる。ナショナルエディションは手元にないが、代わりと言っては何だけどドレミ楽譜出版社の縮小版がある。これはなかなか良い出来であり、「原点の見える実用版」を名乗るだけのことはある[5]。これは縮小版ということもあり、解像度の点で少し難があるが、全音版があまりにも駄目なのでこちらも解説に使う。また、今回は自筆譜[1]も参考にする。

当然ながら手書きの楽譜なのでかなり読みづらいが、全音のダメ出しくらいはできる。

テンポについて
 Largoとなっているので、ゆったりとしたテンポで弾くのだが、冒頭にespres.とある。{エスプレッシーヴォ(espressivo):表情を豊かに、感情を込めて}という意味である[2]。延々と続く和音の連打を単調にならないよう悲壮感を感じられるように演奏することになる。ショパンテンポ・ルバートは伴奏を正確なタイミングで弾き、旋律のタイミングをずらして演奏するものであるが[4]espressivoと書いてある以上はその部分は目を瞑ってしまって構わない。

ペダルについて
 全音だとそこかしこにペダルの指示があり、13小節にはsimileとさえある。しかし、自筆譜を見て分かる通り、ショパン1718小節の2箇所しかペダル指示を書いていない。もちろん、この2箇所でしかペダルを踏まないということではない。和声が変わるたびにペダルを踏み変えるのを基本とするのが分かりきっているので敢えて書く必要がないということである[3]。勿論それが全てではなく、和声とペダルの踏み変えをあわせるというのをベースにして各演奏者にそのタイミングを委ねると考えるべき。だいたい、ショパンは弾くたびに違った演奏をする[4]というのに、ペダルだけは同じタイミングで使っていたなどとは考えられないので、必ずある程度の自由があるはずである。
 逆に言うと、1718小節の2箇所は必ず間違いなくペダルを踏むと断言してここにペダルの指示をだしたと言って良い。ただし、ショパンのペダルオフの指示はかなり雑なので[6]、そこはあまり信用せず自分でペダルを離すタイミングを考えたほうがよい。

クレッシェンド、デクレッシェンドについて
 ショパンの表記で最も分けのわからないのがこの<>で表される記号である。音楽の教科書には<が{クレッシェンド:だんだん強く}、>が{デクレッシェンド:だんだん弱く}なのだが、ショパンは必ずしもそのような意味で使っていないのである。セイモア・バーンスタインはこの記号をヘアピンと読んでいるのだが、<はだんだん強く且つ演奏に時間をかけるように(=だんだん遅く)、>はだんだん弱く且つだんだん速くというような意味を見出している[6]。これはヘアピンの広がりを時間の広がりを同時に表現しており、時間が広がるということはその音をより長い時間演奏するという意味になる。だから、<だと遅くなり、>だと速くなるのである。また、>はアクセントを意味することもあり、>が示している音をより強く、長く演奏することになる。>の長さによって長いアクセントだったり短いアクセントだったりするので更に不可解である。

アクセント
 この曲にはアクセントの付いている音符が2箇所ある。8小節と12小節である。

 譜例は全音版だが、両方とも短いアクセントとなっている。上の自筆譜を見てもらえば分かるが、元はどちらも長いアクセント(あるいは短いヘアピン)となっている。意味するところは上で書いたとおりである。

装飾音

 ショパンの解説のときはだいたい書いてるんだけど、ショパンの装飾音は譜例に赤線で示したように主音のタイミングで弾いて、速やかに主音に移る。

三連符

 右手の8分音符の流れの中で3連符が紛れ込んでいる部分が2箇所ある。12小節と18小節なのだが、リズム感の曖昧なこの曲の中だと普通の8分音符のように弾いてしまうことも出来るが、ちゃんと4分音符の中に納めるように弾くべきである。速度の変化についての指針はヘアピンで示してあるのだから、不自然なリズムになってはいけない。

1618小節

 この曲の中で最も分かりづらい部分である。{stretto:だんだん速く、緊張感を高めて}とありながら、ヘアピンが開いたり閉じたりして速度の変化を示している。
 この部分、例えばアメリカの音楽学者トマス・ヒギンズによると16小節に始まるクライマックスが19小節の前まで続いており、1718小節の始めでリタルダンドしたいという衝動にかられても、それには抵抗すべきであることを示している[3]とのことである。
 一方、セイモア・バーンスタインもこの部分について長々語っている。第16小節目からクレッシェンドを行い、次の小節のフォルテに持っていく。第16小節から18小節にかけて記されているstrettoは、情熱的なエネルギーの高まりを要求しており、我々を次へと駆り立てている。しかしながら、その途中の第16小節目にヘアピンがあり、ルバートを意味している。ターン(回音)の最初の音であるB(ロ音)のところからルバートを行い、その後ショパンのstrettoの支持に従ってターンの最後の音に向けて緩やかにテンポを上げていく。そして感情の高まりとともに、ターンはG(ト音)への減7の跳躍をする。また、ヘアピンが最も大きく開く第17小節の冒頭部分にも、D#(嬰ニ音)からC(ハ音)という減7の跳躍があるが、こおでもルバートを行って演奏することを意味している。こっら2箇所において、strettoにいわば抗うことで、情熱的に切望しているような感覚が作り出される[6]と、何やら難しいことを言っている。
 さて、僕の解釈だが、基本的に上のクレッシェンド、デクレッシェンドの項で書いた通りなのだが、譜例を見るとstrettoの後にヘアピンが広がって、その後に狭まっていくように書かれている。しかし、自筆譜でこの部分をよく見てみると、strettoの真ん中の"e"のあたりがちょうどヘアピンとヘアピンの間に来ており、"stretto"の右の方は五線の右端からはみ出ている。

strettoがどの点に指定されているかという問題である。文字の書き出しの部分から適用するのが普通なのだが、ここは楽譜の右端であり、既にハミ出ている状況である。ってことは、ショパンはもっと右の方例えば、狭まるヘアピンに合わせて書きたかったという可能性はないだろうか。そうであればこの表記は自然に解釈できる。
 17小節にいきなりフォルテがある。冒頭のピアノ以来の強弱指示である。当然ながら、ここでいきなり強音にするのではなく、冒頭からここまで至る間に散々強弱をこねくり回した挙げ句のフォルテでなければならない。上で議論した16小節のstrettoもこのフォルテに至る道筋の一つであるのは、上で引用したセイモア・バーンスタインの言葉のとおりである。

参考文献
 [1]Wizytowka Chopina
 [2]遠藤三郎, 独・仏・伊・英による音楽用語辞典 【改訂版】, シンコー・ミュージック(1991)
 [3]小沼ますみ, ショパンの表現様式の考察―「24のプレリュード作品28」の自筆譜に基づく, 音楽之友社(1987)
 [4]ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル, 弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学 p74, 音楽之友社(2005)
 [5]ショパン・ピアノ作品便覧, ドレミ楽譜出版社(1993)
 [6]セイモア・バーンスタイン, ショパンの音楽記号 -その意味と解釈-, 音楽之友社(2009)