岐阜県高山市の市内にある神社。幹線道路から離れていて、県道に面している裏から見るとあんまり規模の大きい感じじゃないので小さい神社を期待したのだけど、意外に大きかった。調べてみると、延喜式に載ってるくらい有名らしい[1]。参道の途中を道路が横切ってるくらいに広い、というか参道が長い。
今回は、天気が良いこともあり全体的に明るさがうまくない。一応Photoshopで明るさとコントラストを調整しているけど、不自然なところもあるかもしれない。
参道入り口の鳥居
七五三の時期だったらしくイベントの準備をしてる。
昭和63年5月大祭記念らしい。
鳥居のすぐ外は道路を挟んで商店街となっている。
鳥居の下から
この通り遥か向こうに本殿がある。
奥に更に2つ鳥居が見えるが、この2つの鳥居の間の左側が駐車場になっている。
飛騨総社と書かれた石碑の後ろに別の石碑がある。「御代安く 御年豊けくとこしえに 御民恵ませ大御神たち」とでも書いてあるのかな。「御」が楷書だったり草書だったりするのは何だろう。あと、詠み人が「日中」って読めるけど、多分「田中」って書いてある。そんで、飛騨総社で田中っていと、本居宣長の門弟の田中大秀のことじゃなかろうか。
境内入り口の鳥居
上で書いた通り、左側に参拝客用の駐車場がある。
まっすぐ本殿まで続く参道。
写真左側に木の隙間から見える白い倉庫に神楽台と呼ばれる山車のようなものが収められており、解説文が添えられている。
岐阜県重要有形民俗文化財高山祭屋台 神楽台 飛騨総社 沿革 飛騨総社を再興した国学者田中 起案者 田中大秀 嘉永改造 工匠 松田 天井雲龍図 構造 切破風屋根 太鼓昇降 四輪 特色「屋台神楽」といわれる形式で、屋根をもつ神楽台である。屋根飾りに常世の長鳴鳥を配し上段高欄には源氏物語の中の特に音楽に関連ある巻々の絵と源氏香を配し、下段に富士、鷹、茄子の彫刻を取り付ける。 見送りは、岩と華に獅子を配した図柄の朝鮮 高山市教育委員会 高山屋台保存会 |
Important Prefectural Cultural Assets Takayama Festival Floats KAGURA TAI (HIDA SŌSHA) Histroy : This float was constructed on the proposal of Ohide Tanaka. a Japanese classical scholar. In 1850 this float was reconstructed to its present form by Sukenaga Matsuda. Feature : The roof is decorated with birds which are called "TOKOYO NO NAGANAKI DORI (ever-singing bird)". The upper level of the float is adorned with a picture scroll which was derived from "The story of Genji". There are carvings of Mt.Fuji. hawks and eggplants on the lower parts of this float. |
神楽台倉庫の右側にある建物
倉庫の右側に四阿的な建物がある。何かの記念で建てたっぽいけど、説明文が消えかけていて読めず、正体不明。最後の方に「ご休憩ください」と読めるのだけど、注連縄が張ってあったり、大幣が立ってたりする場所で休憩って感じじゃないしなと、よく分からない。神様に向けて書いてるのかもしれない。
境内
鳥居の下から境内を撮ったもの。この日はカップルがイチャついていた。
正面に拝殿、左側に手水舎が見える。右側は多分社務所。
左端に、上で書いた四阿の右にある石碑が見える。
正面右側の立て看板は厄年のお祓いについて書いてある。この裏に祭神とかの説明の掲示があるのだけど、文字がかすれて読めない部分がある。内容は大体玄松子の記憶(魚拓)に書いてある通り。
手水舎
手水舎の横に立て札がある。
社前に流れる宮川の上流にある位山の更に峯続きの龍峯で見いだされて川上郷を経てこゝに移置し二柱明神造りの水舎を覆つて御手水所とす。 青龍頭顎より湧き出る水は此の地下水で神田澄水と云いよく霊験ありと伝えられています。 水は中央に淀んで瀞となり左右に激しく流れ更に子持石に受けられて流れます。磐に雌雄双岳となつて夫婦・親子岩を想定し「心願成就」「家内安全」「良縁和合」「子孫繁栄」を記念し、人倫の根本を誨え授からんと広く崇めて茲に、宇夫須那の石と呼びます。 昭和58年癸亥皐 |
「本居」を「うぶすな」って読ませてるけど、飛騨総社を再興した田中大秀が師匠の本居宣長の姓を当てたんじゃなかろうかと思わざるを得ない。
青龍頭顎ってのは手水舎の水の出る部分が龍の形をしてるのでその部分を指してるんだと思う。そう言えば「蛇口」の起源って「龍口」から来てるとか。以前、Role&Rollのどこかの巻で江戸には消防用の取水口のことを龍口と言ったというのが始まりだとか書いてあったけど、今ググったところそんな話は全く見つからない。Wikipediaによると1887年(明治20年)に横浜から日本の近代水道が始まったが、当時はイギリスから輸入した共用栓に欧州の水の神である獅子の頭部が採用されており、日本製の共用栓を製作する時には龍を用いたが、その名称は空想上の動物である龍の元となった蛇にちなみ、「蛇体鉄柱式共用栓」と呼ばれた。やがて専用栓が作られたが、この共用栓の名称から「蛇口」と呼ばれるようになった[2]そうな。
難しい字が出てくる。「瀞」は「とろ」、川の流れがゆるやかで水の深い所[3]。最近は長瀞さんのお陰で読める人も増えてきてると思う。 「誨え」は「おしえ」って読むらしい。意味は「教え」と同じっぽい[4]。敢えて難しそうな字を選ぶとカッコイイとかいう中二心だろう。「宇夫須那」は「うぶすな」と読ませようとしてるんだと思う。
本殿
満を持して本殿である。
テキトーに「本殿」と書いてしまってるけど、社殿の分類ってよく分からなくて、社殿には本殿・幣殿・拝殿・神楽殿とかあって[5]素人には一見してどれか判断がつかない。拝殿の裏に本殿があるのが標準的なスタイルなので、これも本殿ではなく拝殿なのかもしれない。
本殿右の祠
本殿向かって右側に祠がある。立て札には次のように書いてある。
鍼灸マッサージの始祖・健康の神 夫婦和合・子宝授かりの神 |
杉山和一というのは江戸時代の鍼灸師。鍼の施術法の一つである管鍼(かんしん)法を創始するとともに、鍼・按摩技術の取得教育を主眼とした世界初の視覚障害者教育施設とされる「杉山流鍼治導引稽古所」を開設した[6]そうな。Wikipediaの解説文を読むと凄い人って分かるんだけど、「マッサージ」って片仮名で書くととたんに胡散臭くなる。
末社
本殿向かって左側には三本鳥居となっていて、奥に社がある。 立て札がある。
末社 出雲大社 縁結の神 家内安全・病気平癒の神 豊受大神 稲荷神社 農作物の神・商売繁盛・長寿の神 秋葉神社 火の全ての神・防火の神 |
宇迦之御魂神を「うがのみたまのかみ」と濁って表記している。いなり、こんこん、恋いろは。では準主人公クラスの大役を務めたことで人気を博したうか様だけど、現実世界では伏見稲荷大社の主神として有名である。
開運の杜によると古事記では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、日本書紀では倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)と表記されている[7]らしい。古事記では素戔嗚命が八岐大蛇を退治して櫛名田姫と子作りしたところで生まれる。故、その
参考文献
[1]飛騨総社, Wikipedia
[2]蛇口, Wikipedia
[3]瀞, 漢字ペディア
[4]誨, 漢字ペディア
[5]社殿(しゃでん) の意味, goo国語辞典
[6]杉山和一, Wikipedia
[7]宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)(魚拓), 開運の杜
[8]古事記p41, 岩波書店(1963)
[9]日本書紀〈1〉p40, 岩波書店(1994)
[10]高森ウィンドウズ#101 神話の中の「女性」, ニコニコ動画(2012)