高津神社行ったよ

 三河安城駅から徒歩10分ほどにある、この小さい神社は、現地、井杭山町の鎮守である。小さいとはいっても、規模が小さく施設が少ないというだけで、敷地自体はそれほど狭いわけではない。流石田舎町である。
 「高津」という名前は刈谷市に同じ地名があるが、関係は不明。
 1707年創建ということで300年の歴史も持つ割と新しい神社である。明治用水が完成するのは1880年であるが、それ以前は矢作川から逢妻川の間の碧海台地と呼ばれる地域はとにかく水源がなく、水の確保に苦労した。水がなければ人へ住めないのであって、この地には狐しかすまないといわれるような荒寥たる草野が広がっていたのである[1]。そんな厳しい社会の中で作った神社だということになる。
 この地域にマトモに人が住めるようになったのは明治時代になってから矢作川から明治用水を引いて農業を行う準備ができてからである。それでも安城の土は赤土で痩せ、開墾の際は、「嫁にやるなら 安城にやるな ひがな一日野良仕事」[2][5]とまで言われるほどに苦労した。そんな状況から始まって、明治用水開通から50年後には日本デンマークと呼ばれる程の一大農業地域となったのである。なお、何が「デンマーク」なのかはよく分かっていない。いつの間にかそう呼ばれていたのである。

参道入口

 空き地の向こう左側の家と右側の森の間に参道入口がある。ぱっと見、何もないように見える。

 近づくと、ほらこの通り。参道入口に続く小道がある。

鳥居

 奥の方に狛犬と本殿が見える。参道がまっすぐ続いてるということは、祀られている神様を閉じ込めておくために参道を曲げる必要がないということなのかな。
 左の松並木の向こうに見える建物は町内会事務所である[3]
 鳥居の下にはポールが立ってる。こういうところに立てるということは、車の侵入を止めるためだと考えられるけど、先の狭い小路に車が通れるだけの広さがあるようにも思えない。それと、参道の中央は神様の通り道だから開けておかないといけないんじゃなかったっけ? 神様が出ていかないように止めてるのかな。
 鳥居の手前には立て札がある。

 注意
石が落ちる恐れあり
近寄らないでください
  宮係り

 鳥居は崩落寸前だということか。大きな神社ならこうなる前に鳥居を新調するんだろうけど、この規模だと予算が貯まるまで放置することになるらしい。氏子から醵金を募ったりするのかな。

鳥居の内側

 正面に本殿、左側に手水舎と社務所。あと、切れてるけど300年祭記念植樹がある。

参道左側

 手水鉢の中に水はない安城では世紀末並みに水は貴重なのである。
 手水舎から社務所に道が続いているけど、社務所はシャッターが閉まっている。御朱印? なにそれ、美味しいの?
 神職の常駐していない神社というのは、人に話しかけられる心配がなくて安心だ。先日行ったある神社では丁度禰宜の人が祝詞を上げに来る日にぶつかって、奏上につきあわされてしまった。遠くから見たいだけだから、そういうのはいいから。
 植樹の杭は別の角度から見ると「平成21年9月27日」と書いてある。別の石碑には1707年創建と書いてあるので、ちょっと年がズレている。

本殿


造営記念碑

 髙津神社々殿造営記
髙津社は仁德天皇大鶴ナミ(奈鳥)命オオサザナミノミコトを祭神として住民の崇敬を集めている神社であります
社歴によれば宝永4年3月西暦1707年に氏神様として創建されました
拝殿は明治11年に建立され以来幾星霜を経て今日に至っており本殿と詩殿は昭和9年に造営されました 尚大正末期に現在の見合橋近くにあった秋葉神社が境内に奉祀されました このたび公民館の新築を契機として拝殿の修復造営の機運が髙まり60年に入って造営の事業が本格的に発起され評議員並び奉賛会において協議のすえ氏子各位の賛同を得て再建が決定されました その後建設委員会が中心となって計画推進に当たり資金は氏子各位より寄進を仰ぐことになりました 発議より六ヶ月余で念願の社殿完成の日を迎えることができました 九月の祭礼には盛大に奉祝祭が執り行われました ここに髙津社の威容整いその尊厳と御神德の愈々の昂揚を期し今日の深い喜びと感謝を込めて御再建の経緯を記します

 「ナミ(奈鳥)」という字が見つからんかった。調べてみると、仁徳天皇の名前は大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)というらしい[4]。字、ちげーやん。

秋葉社

 上の石碑によると、大正末期に見合橋近くから奉祀されたとか。
 見合橋ってどこだろう、岡崎にそんな名前の地名があったなあとか思って調べてみたら油ヶ淵に見合橋というのが架かっているらしい。岡崎の方は美合町だからぜんぜん違う。
 なお、この見合橋であっているのかは不明である。

殉国之碑

 どの殉国を指しているのか詳細不明。
 そんなことよりも、頭上に茂る楓の葉っぱを通して降り注いでくる夏の日差しがとても美しい。うまく写真に撮れないのが残念である。


 殉国之碑の左側に通用口っぽい出入り口がある。
 参道からの出入りはあんまりにも不便だから普通はこちらを使う。

参考文献
[1]水土の礎(魚拓)
[2]川名が語るふるさとの歴史
[3]ネットの電話帳(魚拓)
[4]コトバンク
[5]神谷素光, 写真集明治大正昭和安城, 国書刊行会(1979)