桜井神社行ってきたよ

 桜井神社については以前、算額が奉納されているというエントリーを上げたことがある。この時は図形問題の証明をしただけだったのだけど、実際に桜井神社に行ってきた。算額の実物を見ることができるというわけではないのだけど、折角なので色々と写真を撮ってきた。

参道

 何か立て札が立ってる。

 何だろうと読んでみると、注意書きだった。

 定
一、参拝以外の自動車を乗り入れぬこと
一、魚鳥を捕獲せぬこと
一、竹木を伐採せぬこと
その他神域の尊厳を冒す一切の行為を禁止する

 桜井神社



 参道はかなり長くて、途中で2回道路が横切っている。googleマップで見ると参道入口から本殿まで200m以上ある。

 神社ではお馴染みの由緒とか書かれた石版がある。

 桜井神社
御祭神 伊弉諾神、伊弉册神 菊理媛神、火産靈、天照皇大神、倭姫尊、火之迦具土神、應神天皇八幡大神、菅原道眞
 由緒
桜井神社は、往古より桜井郷の産土神として尊崇篤く神威熾にして 国内神名帳に載せられし從五位桜井天神と稱し奉り、武家の尊崇篤く鎌倉時代において三河守護吉良氏より三百貫の社地寄進が爲されたと伝えられ、桜井城主松平親房は大永七年(1527)自ら願主となりて社殿の造榮を行いました。当時は神明社と稱されていましたが、慶長十五年(1610)家康の命により本殿の修築が行われ、社號も白山社と改稱され次いで十九年改めて五十石の社領の寄進が行われ、三河白山社として、歴代徳川家の崇敬を受けてきました。寛永年間に社號も桜井權現と改稱され後正一位桜井大權現と奉稱されてきましたが、明治五年額田県令により郷社桜井神社と稱し、由緒深き故を以て昭和七年県社に昇格され、古くより旧碧海、幡豆の二郡に亘って氏子村も三十有七ヶ村に及び、近郷の大社として崇敬誠に淺からぬものがありました。大祭は元陰暦九月十六日とされていましたが明治より十月十六日に改められ、近年十一月三日に定められている。往昔徳川家康によって奉納されて流鏑馬の神事につづき花馬、額、山車、打囃子、獅子舞、棒ノ手、角力、花火の奉納が盛大に行われ、わが故里の鎮守の神としてとこしえにいつきまつる

 火産靈と火之迦具土神がキャラかぶりしてる気がするのだけど、どうなん?


 参道の途中に日露戦役紀念碑なんてのがある。


 参道を横切る道路1本目を越えたところ。
 本殿に上がる階段が見える。

参道を横切る道路2本めを越えたところ。

右側

左側 手水舎とか何か立て札とか

 色々と施設が見える。
 参道の左右に植えられているのが多分クロマツ

桜井神社のクロマツ

市指定天然記念物 桜井神社のクロマツ
 昭和49年2月13日指定

 桜井神社の長い参道の両側に生い茂る、見事な松並木です。
 戦前には200余本の老松が14700平方メートルの境内にありました。1959年(昭和34年)の伊勢湾台風の被害でややさみしくはなりましたが、一の鳥居から三の鳥居までの参道に従って拝殿へ導いてゆく景観は、実に立派です。胸高囲3メートル、樹高25メートルに達するものが林立し、境内地の空間を縦に貫いています。  郷土の文化財を大切にしましょう。

 安城市教育委員会

 「ややさみしくなりました」とか書かれると薄毛の人を想像してしまう。

 他にも何か立て札がある。

市指定建造物 桜井神社本殿
 昭和40年11月3日指定

 桜井神社は、平安時代の「神名帳」に拾五位桜井天神と記載されている古社であります。棟板から、1527年(大永7)に桜井城主松平親房が社殿(当時、神明社)を造営し、1610年(慶長15)に米津新右衛門親勝が修築し、白山社としたことがわかります。
 本殿は、流造で、切妻造、平入りの屋根に向拝をつけ一流れにしたものです。後流れと前流れが不均衡になるのを、曲線で巧みに均衡を保っているところに特色があります。
 正面は三間、側面は一間、脇障子は板張りで、猪目懸魚の左右の巻き込みが大きいのは、後年の修理によるものとされています。蟇股など随所に室町時代の神社建築の様式をとどめる貴重な建造物です。

 強度の文化財を大切にしましょう。

 安城市教育委員会

 専門用語が多くて何を言いたいのかわからないけど、とにかく貴重なものらしい。

市指定史跡 三河白山・桜井神社
 昭和43年4月1日指定

 三河白山とは、上条白山媛神社、桜井神社の総称です。徳川家康の祖父松平清康は出陣にあたり、これらの神社に武運長久を記念したといいます。家康もそれにならってこれらの三社に社領を寄進しました。
 この神社の由来は、極めて古く、平安時代以前にさかのぼります。「桜井天神」「神明社」「白山社」等と名乗った時期もあり、江戸時代には、「桜井権現」と呼ばれ、現在は「桜井神社」と改称されています。
 強度の文化財を大切にしましょう。

 安城市教育委員会


安城 歴史の散歩道

 この辺りには色々と史跡とかがあるらしい。この日は、ついでに二子古墳を見てきた。

手水舎の左の石碑

 何か書いてあるけど、書体が読みづらいだけじゃなくって、文字自体がかすれていて読めない。

ご神木

 何の木なのかは分からない。

鳥居の内


井戸かな?

 本殿の手前の落ち葉をかき集めた辺りの地面に何か蓋をしてある。多分井戸なんだろうなと思う。とっくに使わなくなってるけど埋めようとも思わないとかいう感じかな。それにしても変な位置にある。

狛犬(左)

 本殿前、口を閉じている方の狛犬と後ろの掲示板。

掲示

櫻井神社
社格 七等級 旧県社
祭神 伊弉諾尊 伊弉册尊 菊理媛神 八幡大神 天照皇大神 火之迦具土神 火産靈 応神天皇 倭姫尊 菅原道眞
鎮座地 安城市桜井町桜林17番地
例祭日 十一月三日
由緒 当社の創建は古く、倭姫命の諸国巡挙の跡とも、ご世紀の二子古墳・比蘇古墳築造時とも言われ、三河国神名帳の比蘇天神は当社と伝えられる。県指定文化財の印内薬師は櫻井神社の神宮寺の本尊座像と伝えられる。室町の末川島の白山を合祀する。大永七年(1527)桜井城主社殿を造営、慶長十九年(1614)徳川家より朱印五十石を寄進される。明治五年11月郷社に列格、大正三年町内の七社を合併する。昭和五年社殿を造営、同七年県社に昇格する。古来より、近隣三十六ヶ村の総社として崇敬され、例大祭には、花馬・山車・打囃子・花火など盛大を極めた。
社殿
 本殿 流造 6.00坪
 幣殿 15.84坪
 拝殿 18.60坪
 社務所 57.90坪
 神楽殿 11.77坪
 絵馬堂 11.74坪
 宝物館 4.00坪

特殊神事 [神賑行事]十一月三日十月第四日曜
 囃子八台 棒の手(下谷保存会、小・中学生男子)

宝物
 大絵馬、太刀
 本殿…室町末期建築様式(市文化財)
 くろまつ、参道松並木(市天然記念物)
 算額二…寛政元年(1789)松崎行乗、文化二年(1805)長谷部延之(県文化財

境内坪数 3,947.17坪
 山林 二タ子古墳 851.31坪
 山林 桜林 585.45坪 氏子数 1,3001,800戸

境内末社と祭神
 御鍬社 天照皇大神
 市杵島社(弁財天社) 死杵嶋媛神
 稲荷社 保食神
 山神社 大山祇神

宮司 赤堀清彦

氏子総代 十八名
年中行事
一月 歳旦祭
    成人祭
    天神祭
二月 節分祭
    御鍬祭
三月 新年祭
    稲荷祭
    山上歳
四月 奉告祭
八月 弁財天祭
十一月 御呂所祭
     宵祭
     例大祭
     合併記念祭
     七五三
十二月 新嘗祭
     大麻領布始祭
     厄除祭
     除夜祭
七・十二月 大祓
・毎月1日・十五日
     月次祭
 櫻井神社の歳神と御神徳

本社 祭神
 伊弉諾神 伊弉册神 菊理媛神 菅原道眞 火之迦具土神 火産霊神 応神天皇 八幡大神 天照皇大神 倭姫尊
末社 祭神
 御鍬社 天照皇大神 稲荷社 倉稲魂神
 弁天社 市杵島姫神 山神社 大山祇神
御神徳
伊弉諾神伊弉册神菊理媛神は、加賀の白山比咩神社を総本社とし、御分社2700社 万物を産み育てる生成化育の神、総てを括り結ぶ結びの神。延命長寿、家運隆昌の守護神。
菅原道真は、九州の太宰府天満宮を総本社とし、御分社11,000社、御神格「天満大日在威徳天神」の学問の神。親書は古今無双の書道の神。 学業成就、学芸上達の守護神。
火産霊神火之迦具土神は、遠州秋葉山本宮秋葉神社を総本社とし、御分社800社、火の幸を恵み悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神。火災消除、厄除開運の守護神。
応神天皇八幡大神は、九州の宇佐神宮を総本社とし、御分社25,000社伊勢神宮に次我が国第二の宗廟。災厄を祓い除く家運長久の神。 家運隆昌、子孫繁栄の守護神。
天照皇大神倭姫尊は、伊勢神宮総本宮とし、御分社18,000社。我が国最高至貴の宗祀、御神格「光華明彩、六合照徹」世界遍照の日の神。国家鎮護、国家隆昌の守護神。
市杵島姫神は、九州の宗像神社を総本社とし、御分社8,500社。濃厚の灌漑用水、海上交通の水路守護の水の神。弁財天と習合して、芸能の神。五穀豊穣、交通安全の守護神。
倉稲魂神は、京都の伏見稲荷大社を総本社とし、御分社32,000社。人々の生命を守り育てる生命の祖神。五穀食物、招福開運の神。 五穀豊穣、商売繁昌の守護神。
大山祇神は、四国の大山祇神社を総本社とし、全国各地に祀られ、春には山から里に降り田の神となり、空きには山に戻る農耕神。山は祖霊の宿るところ。交通安全、五穀豊穣の守護神。
神信心
・新党は、正直を持って体とし、愛敬を持って心とし、無事を持って行とす。
・神は人の敬いに寄って威を増し、人は神の徳によって運を添う。

 「家運隆昌」が読めんかった。だって、高解像度にしてもこれだよ。読めない><。
 ちなみに「倉稲魂神」は「うかのみたまのかみ」と読みます。稲荷社の神様です。いなり、こんこん、恋いろは。がオススメです。

狛犬(右)

 口を開けている方の狛犬
 右奥の建物にはゴミか何かが入ってる。御札とかを破棄する場所なのかな。



 牛の神使というと太宰府天満宮が有名だけど、桜井神社では菅原道真も祀っているからその繋がりなのかな。
 昭和五十八年度 厄年同年一周による奉献だそうな。

本殿

 漸く辿り着いた感がある。

立入禁止

 謎のkeep out
 井戸の跡なのだろうけど、本殿手前の井戸はちゃんと蓋をしてあるのにこちらはトタンで塞いで上から丸太の重石をしてるだけ。何だろう。トラップかな。こういうところからシナリオを思いついたりするから無碍にはできない。

おまけ 二子古墳



 後ろが住宅街で、全体を撮影できるだけの距離が取れなかったので、テキトーに3分割。
 地元の男子中学生だと思うんだけど、上で遊んでいた。
 二子古墳は碧海の歴史によると次のように書かれている。

 二子古墳は、中期の前方後円墳で、全長81メートル、後方部幅45メートル、同高さ8.1メートル、矢作川流域では第二の規模を持つ前方後円墳として注目される。いま二子古墳の土量を計算してみると、約5万3292立方メートルとなり、土木工学者の高橋逸夫や考古学者の梅原木治の計算により1日一人あたり1立方メートル運ぶとすると、土砂を運ぶだけで、延べ5万人を要したことになる。このように規模の大きい古墳は、その被葬者の権力の大きさを物語るもので、国造級の豪族を祀る古墳とみられる。

 酷い計算もあったものだ。1日で作るなら5万人、1週間なら7613人、1ヶ月なら1776人、1年なら146人、5年なら29人である。ちなみに5万人いても作業スペースが狭すぎて1日じゃできないと思う。

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