平均律1巻10番プレリュード

 平均律1巻10番を録音したので例によって演奏解説を行う。平均律は各曲プレリュードとフーガに分かれているので2回に分ける。とはいえ、互いに密接に関わっている部分もあるので、完全に分離するというわけにもいかないので、互いに言及し合う部分も出てくると思う。
 楽譜は全音のトーヴィ編を使う。全音の楽譜を嫌いだという人は世の中に結構いるみたいだけど、解説が充実してたりするので個人的には結構好んでいる。また、ここ15年くらいでマニアックな楽譜を次々と出版している。指の訓練と楽想の断章とかどの辺りに需要があるんだろうか。ともかく、特に理由がなければ全音を買うようにしているのだが、トーヴィ編はベートーベンのピアノソナタ全集でお世話になっており、使い勝手がよいことが分かっているので積極的に選んだ。ちなみに、市田によるとイギリス版としてロンドン王立音楽院によって出版されたトーヴィ(Donald Francis Tovey 1875-1940)編集による楽譜は、原典に忠実であり、その各曲ごとに見解やバロック様式についての忠告や演奏指針について、簡単ではあるが示唆に富んだ助言が述べられている。[1]とのことである。
 曲について細かく書くと量が膨大になる上、どこかで必ず間違えて墓穴を掘ることが目に見えているため、演奏技術に関する部分に焦点を絞って説明する。曲自体についてもっと知りたいという方にはバッハ 平均律クラヴィーアI 解釈と演奏法に曲の構造などを非常に細かく説明されているのでお勧めする。

テンポ
 プレリュードとフーガのそれぞれに関連する最も表面的な部分がテンポであり、こればかりは一方だけを表記してい済ますわけにはいかない。
 プレリュードの前半1~22小節が[Andante cantabile]、後半23~41小節がPresto、フーガが[Allegro leggiero]となっている[2]。バッハは平均律1、2巻を通して数えるほどしかテンポの指定を行っておらず、1巻10番ではプレリュードのPrestoが希少な一例となっている[1]。見ての通り、Presto以外は括弧付きでテンポを表記しており、トーヴィによる指示であることがわかる。このことを解説で説明していないことはトーヴィの不備とも言える。
 この3種類のテンポの扱いだが、Prestoは[Andante cantabile]の倍の速度、フーガはプレリュードの後半の速度[3]だと全体としてバランスが取れる。しかし、このように演奏するとプレリュードとフーガのテンポがどちらか気にくわなくなる。フーガを結構速く弾きたいのだが、するとプレリュードが全体的に速く成りすぎて非常にもったいないことになる。かといって、逆にプレリュードを自分の好きな速度で弾くと今度はフーガがのろまで間抜けな印象になってしまう。そんなわけなので、プレリュードの最後の3小節をリタルダンドで徐々に遅くしてフーガをこの遅くなったテンポの倍の速度とすることにした。どうせフェルマータが付いていることだし細かいことは気にするなといった感じ。普段は楽譜に書いてあることに従えとか言うくせに都合が悪くなると自分の感情を優先するのは悪い癖なのだけど、嫌々弾いても仕方ないので結局好きなように弾くことになる。

プレリュード
 1~22小節を前半、23~41小節を後半とする。
 前半はテンポが遅いのでそれ程難しい部分はない。左手の16分音符をノンレガートで弾くようにしたのは多分グールドの影響だと思われる。ただ、練習を始めてからはグールドの演奏を聴く機会は殆どなかったので、改めてグールドの演奏を聴いてみると全然違った(当たり前だ)。
 前半で気をつけることは中声部の和音の音価を正しく取ること。ボケッとしていると16分音符分だけしか押さえていないということがよくある。
 主旋律はあくまで上声部のアリアであり、中声部の和音や下声部のオスティナート規則正しく静かに弾かなければならず[1]、最後21~22小節を除いてアリアより目立ってはいけない。

3、14、17小節



 中声部で前の音と重なるため、適切なタイミングでキーを押せずに流れが途切れてしまう。これをどうにかするために、譜例のようにアルペジオにしてきれいに誤魔化す。
 ソステヌートペダルとか、サステインペダルで繋げがっているように見せかけても良いのだけど、ペダルを踏まずに弾ける曲はできるだけペダルなしにしたいという欲求があってこのようにした。

9小節

 前打音の形で配置されている8分音符は次のように8分音符の長さで弾く[1]

10、12小節


 トリルと続く32分音符の間に16分休符がある。世の中には休符が消されている楽譜が存在するらしいが、それは間違い。最後の32分音符は次の小節の前打音となっているので、ちゃんと休まないと筋が通らないことになる。この部分をはっきりと表現するために矢代は次の演奏法を提案している[4]

20小節

 このトリルは下のように後打ちを入れた上に最後のE音は16分音符で短く弾く方がよいらしい[4]

21~23小節

 前半の最後と後半の始めの部分。
 22小節でストリンジェンド(stringendo, だんだん急き込んで、速度を速めて)して、正確に2倍のテンポにするという人と[3]、Prestoの直前まで厳格に前からのテンポを維持せねばならない[1]という人がいる。僕は後者を支持する。直前まで焦らし、一瞬にしてテンポを2倍にして爆発するように演奏したいからである。ただし、焦らすのはテンポだけで21小節からPrestoに向かってクレッシェンドする。

後半
 23小節からPrestoとなるのだが、右手をノンレガート、左手をレガートで弾くことにした。レガートで弾いた方が技術的に易しいのだけど演奏効果を高めるためにノンレガートにした。本当は両手ともノンレガートにした方が演奏効果は高いのかもしれないのだけど、そうすると音の粒が揃っていないことがバレバレになってしまうので都合が悪い。左手をレガートにして常に何かしら音が鳴っている状態にすることで右手の音が消えるタイミングが分かりづらくなり、少しくらい離鍵タイミングばらけても気にならなくなる。
 無駄な動きを減らすため出来るだけ手は動かさずに指の動きだけで弾くようにした方がよい。指はまっすぐに伸ばして弾く。指を曲げると関節の曲がっている部分でバネのように運動エネルギーを吸収してしまい、その分だけ音が弱くなってしまう。

24小節

 ※右手4拍目第2音。4指で押すのだが、押した後意識して離鍵しないと指がキーから離れていないことがある。すると、このすぐ後に同じ音を打鍵できなくなる。
 4指はいつもこんな感じで目を離すとすぐに仕事をサボろうとする。その点、ショパンも嘆いていた。困ったものである。

27小節

 後半、右手で4指を多用する。こんなに4指は動かないという場合の指使いを括弧で示したのだけど、結局使わなかった。

30小節

 この曲は終始楽譜を見ながら弾くのだけど、所々手元を見なければいけない部分がある。30小節前半の左手の跳躍を外しやすいので、手元を見て弾けるようにこの部分を暗譜した。のだけど、練習量を重ねそれなりに弾けるようになってくると一瞬手元を見るだけで鍵盤と手の位置は大体把握できるようになり暗譜している必要はなくなり、結局忘れてしまった。ただ、体が動きを覚えているため何となく弾ける状態になる。

32~33小節

 32から33小節に移るとき、両手とも跳躍するのだが、当然片方の手しか見ることはできない。より弾きやすい左手は5度の距離と覚えておいて、視線は複雑な右手の動きを追う。

34~41小節
 33,34小節とここまで休みなく16分音符を叩き続けてきた左手に休符が現れたと思うと、34小節後半で2分音符の旋律が現れて3声になる。これ以降は2分音符にアクセントを付けて弾くことになる。38小節前半で2分音符が消え33~34小節のように音が少なくなるが、Eを主音とする旋律短音階のスケールを駆け上った先、38小節後半で4声に増え、4声のまま終了する。

35小節

 ※後半、右手A音は16分音符が同じ音を弾くため、保持できなくなる。4拍目第2音を押した後離さずにいることで保持しているふうに装うことが出来る。

38~39小節

 38小節後半から4声になるがベース音はHを2分音符で叩き続ける。あまり好きじゃないのだけど、ガヴリーロフの演奏が印象的。
 この4声の部分でテンポを落としていき、フーガで弾きたいテンポのちょうど半分にする。

41小節

 最後は同主調のE durで終わる。
 終止線にフェルマータが付いているので、フーガに移行する際に少し間を開ける。この時間は41小節と同じか2倍の長さが良いんじゃないかと思うが、38~39小節でリタルダンドした場合に2倍の長さだと長すぎると感じるのでこの場合は41小節と同じ長さにしておくと良いかと思う。

参考文献
1 市田儀一郎, バッハ 平均律クラヴィーアI 解釈と演奏法 2012年部分改訂, 音楽之友社(2012)
2 D.F.トーヴィ, バッハ 平均律ピアノ曲集第1集, 全音楽譜出版社(1998)
3 ヘルマン・ケラー, J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集 作品と演奏について, 音楽之友社(1986)
4 矢代秋雄;小林仁, バッハ平均律の研究1, 音楽之友社(1982)

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 20140921 平均律1巻10番フーガ