幻想即興曲 演奏解説

 宅録の場合、何千回リテイクしたところで録音に関する関係者とかはいないので、辛いのは自分だけであり申し訳ない気持ちとかは湧いてこない。とはいえ、各テイクからよい部分だけを切り貼りしてDJごっこみたいな様相を呈したところで、別に演奏自体が良くなるわけではなく、せいぜいミスタッチを隠すことができるくらいだったりする。そんなことよりも、自分の演奏の拙い部分を聴いてその後の練習に反映させる効果の方が高い。
 いきなり仕様もない愚痴から始めてしまったが、幻想即興曲を録音・公開した。先日別の録音をしたときは結構ゆっくりのテンポで詰まらない感じがしたので、今度はかなり速いテンポを採用した。
 例によって演奏解説をするが、譜読み・暗譜自体がかなり昔のことなので、あまり記憶に残っておらずその辺りを説明できる自信はない。とはいえ、できるだけのことは試みてみる所存である。
 ナショナルエディションの解説文があるが、ノクターン20番のときに頑張って読んだにもかかわらず碌に得られる物がなかったことを反省して、今回は読んでいない。

 この曲は作品番号66であり、ショパンの遺作第1号である。
 この曲には色々と不明な部分がある。元々、「即興曲」というタイトルしか付いていない。ショパンの遺言では生前出版しなかった曲は全て焼き捨ててくれとのことだったが、フォンタナは遺族の同意を得てショパンの命に背き出版した[5]。その際に、フォンタナは曲に手を加え「幻想即興曲」と名付けて出版した。これが通常出回っている版である。ショパンのオリジナルの楽譜はナショナルエディションやウィーン原典版ペータース原典版から出版されているらしい[6]。もしかしたら他の版でもオリジナルが出回っているかもしれないが、よく知らない。オリジナル版はルービンシュタインが楽譜を入手し最初に録音したと言われている。
 何故この曲をショパンが出版するなと言ったのかは定かではない。モシェレス即興曲Op.80だか[1]Op.89だか[6]に似ているとか、ベートーベンの月光第3楽章に似たフレーズが出てくるとか言われているが、どちらも理由にならない。ショパンが進んで出版したOp.10-1, -2, -11は即興曲の場合に負けず劣らず、モシェレスのOp.70に似ているから、即興曲の出版を止める理由にはならない[1]。ベトソナの方もフレーズを1カ所借りただけでそんな気にはなるまい。そんなことを気にしていたらOp.2, Op.12なんて出版できない。また、ルービンシュタインの説ではデスト男爵夫人に売ったため出版を諦めたとか[2][3]。このあたりについてはショパン:即興曲が丁寧に説明している。。
 幻想即興曲のお勧めの録音はハラシェビッチシフラホロヴィッツルービンシュタイン辺りだが、順位を付けられないところにカツァリスがいる。一部で評判の良いバックハウスは音質が悪すぎて評価できない。

楽譜
 手元には全音ピアノ名曲100選 上級編春秋社版、ナショナルエディションがある。また、ゴドフスキー版もある。これはゴドフスキーによる演奏解説でありとても参考になる。ナショナルエディションにはFirst Virsionと、デスト男爵夫人の為に作曲した版(Composé pour Madame la Baronne d'Este)があってとてもややこしい。しかもどちらもWN46とナンバリングされてる。取り敢えず、初版とデスト版と名付けて区別する。初版はエキエルのやる気があんまりないのか指示が全然ないし、デスト版は普段聴いているものとかなり違う。困ったものである。
 以下の解説では春秋社版をメインにして、これらを適宜都合のいいように使う。

曲の構成、テンポ
 序奏-A-B-A-コーダ、という形式になっている。また、Aは(a-b-a)という部分に分解される。
 テンポはAllegro Agitatoとなっており、ナショナルエディションには数値の指定はなく、全音、春秋には二分音符=84となっている。
 序奏-AがAllegro Agitatoで、Largoを経てBのModerato cantabileとなり、再度Aで最後まで走り抜ける。途中速くなったり遅くなったりがある。
 Bの部分はcantabileなので特に方針とかなく、これがよいと思うテンポで演奏するしかないし、テンポを揺らすのも有りだと思う。
 一方、Aの部分についてはテンポの揺れは最小限にとどめ、とにかく正確なタイミングで演奏することを心がけるべきである。41小節から最後までの部分は劇的な効果を上げるために緩急付けた演奏が望ましい。
 この曲をMIDIでステップ入力したものを聴くと、ペダルを踏まなくても悪くないのだが、素人の演奏をペダルなしで聴くと大抵は聴けた物ではない。素人の演奏はどうしても粒が揃わないからペダルで誤魔化す演奏になってしまうためである。そういった技術的に難しい部分をクリアしたとすると、テンポとペダルの踏み加減が深く関連する。テンポをゆっくり目にした場合、ある程度ペダルを踏んでやらないと音がとぎれてしまって間が持たない。逆に速く弾く場合はペダルを強く踏んでいると音が響きすぎて、旋律がその中に埋もれてしまうためよろしくない。個人的な好き嫌いの問題だが、ペダルをほとんど踏まずにテンポを速くするほうが好きである。スメンジャンカによると遅めのテンポで表現しても素晴らしい音楽になるらしい[4]

曲の構成
 構成をもう少し細かく見ていくことにする。
 小節ごとのまとまりを書き出すと次のようになる。

 Aの4, 8, 12, 16という4の倍数で増えていく感じは非常に美しく感じる。また、A→Bの移行部の2小節を除くと、40→40→36→20というバランスのとれた姿が浮かび上がってくる。非常にしっかりした構成であり、これを即興曲だなんて言っても誰も信じないだろう。
 記譜法自体がが2の倍数を基準にしているから当然なのだけど、そこかしこに4の倍数が出てくる。ショパンは4という数字が好きなのかな。ソナタ、バラード、スケルツォ即興曲も4曲ずつ作ってることだし。にも関わらず、この曲は138小節であり、4の倍数ではない。この点についてショパンは悩んだのだろうか。A→Bの移行部を4小節に拡大しなかったのは英断だと思う。ちなみにルービンシュタインは121,122小節をすっ飛ばすことで全体を136小節に調整している。ナショナルエディションの解説文には119~120小節のところに×2みたいな表記があって121~122小節はこれを繰り返すことにした、というようなことが書いてある気がするのだけど、ちょっとまじめに読む気にならないので放置してある。

 では、例によって、楽譜とにらめっこしながら最初から追っていこうと思う。

3~4小節



 春秋、全音が3小節目の終わりから5小節目頭にむかってデクレッシェンドとなっているのに対し、デスト版はフォルツァンドピアノで最初の音だけ強くしている。
 ゴドフスキーが面白い提言をしている。左手で下のCisオクータブを保持して右手にGis以上の分散和音を担当させることにより、ペダルは左手5指を離す際に保持する時まで踏まずに済む。

5小節


 右手が16分音符で左手が3連符となっている。4:3のバランスであるため奏者を混乱させる。とはいっても、3つの新しいエチュードとかで出てくる技術なので別に難しいことはない。
 結局は慣れで解決する場合が多いが、それでも最初はゴドフスキーが示すように正確な配置でゆっくり練習した方がよい。慣れてくれば通常の速度で弾けるようになるが、大抵は崩れた演奏になると思う。最低限、2分音符毎に右手と左手を合わせて弾く必要がある。余裕があるようなら、更に四分音符の頭、連桁している16分音符の頭で1小節に4回左右の手を合わせるとよい。究極的には左右の音を完全な配置で演奏したい。
 ゴドフスキー版は左手の拍頭を2分音符にしている。譜例では5小節目だけになっているが、楽譜本体では終始2分音符が付いている。この弾き方でベース音を保持するとペダルを踏まなくても音が伸びているように聞こえる、しかもペダリングで音が濁る心配もない。とても良い案なのだけど、Cisと10度上のEを同時に押そうにも手が届かないので小節後半のオクターブで済む部分だけこうしている。前半は仕方なしにペダルを踏む。
 デスト版は左手のベースと上の音にアクセントが付いている。これは5~7小節と後半の83~85小節だけがこうなっている。この後で同様に演奏するようにというような指示もないため、どういう意図があるのか分からない。その後もずっと同様に弾くけど、アクセントと記号を書くのが面倒になったので省略した、とかならそう書いて欲しい。ちなみに、ナショナルエディションを採用している河合優子の演奏ではこのアクセントは聞こえてこない。
 *このCisを4指で取るにあたりポジション移動が必要になる。ポジション移動が遅れると音を外しやすくなるので意識すること。
 ☆このEは5小節目前半で一番強い音にならなければならない。この5指はしっかり伸ばした方がよい。指が曲がっているとバネのようになって力が分散されてしまい音が弱くなる。
 この部分は次のように装飾されていると読み替えることが出来る。

 ショパンの旋律は単純な音形から装飾により複雑な旋律を作るということがしばしばある。この場合、Gis→Cisという音型があってこれを装飾することで旋律を作っている。また、各四分音符を前打音から始めることでシンコペーションとなっている。この音の並びはカツァリスの演奏の後半部分でアクセントを付けて主張している。聴いてみると不思議な感じがするが、こういう音型が隠れていると考えると説得力のある演奏と感じるようになる。この音形は中間部の旋律に微妙に継承される。

7小節

 ◎このDisを押したらすぐに離鍵すること。キーを押したままにしておくとFis→Aの指くぐりの際に指がじゃまになって音が崩れる。また、ダンパーが上がったままになるため音が消えてゆかずに濁る。この右手の上昇は指使いから分散和音のようになってしまいがちだが、旋律であることを意識して一音一音を明瞭に弾く。あるいはペダルを踏んで誤魔化すか、テンポを上げて誤魔化す。

12小節


 前半部のaからbに移行する部分。
 春秋社版では11小節で音程の上昇にあわせて強くし、12小節の音程の下行に合わせて弱くし、13小節でbに入った所でフォルテにする指示になっている。また、12小節で弱くする部分は1拍ごとに弱くするdimin.と1泊の中で弱くするデクレッシェンドの両方を書いている。これはデスト版で明示しているように12小節の各拍頭の音を強くすることを意味している。
 デスト版では、フォルテかピアノかは明示せずにクレッシェンド、デクレッシェンドが書かれているばかりである。せめて13小節になにか書いて欲しいところ。何もないことから3小節のピアノを基準に音量変化しているとするしかない。どの程度強さを変えるかは奏者次第。11小節前半で音程の上昇に合わせてクレッシェンドし、その後減衰することなくbに入る。12小節は上記のように拍頭だけアクセントが付いている。
 ちなみに、全音版では11,12小節は春秋社版と同じで、13小節にフォルテの指示がないため弱音のままbに突入する。

13~24小節


 13~24小節がbとなる。左手が分散和音で右手15指でオクターブの主旋律、234指で中声部の2声となっている。13~16小節はオクターブの下の音にアクセントを、17~21小節はオクターブ上の音にアクセントと思っていたのだけど、デスト版は最初から最後まで下の音にアクセントが付いている。そもそもデスト版は左手の分散和音の並びからして違っているのでいろいろと参考にならない。本稿では13~16小節が低音にアクセント、17~21小節が高音にアクセント、22~24小節をアクセントなしとして話を進める。
 12小節のところで、全音版は「フォルテの指示がないため弱音のままbに突入する」と書いたが、全音のうかつな編集者がフォルテを書き忘れただけではないかという気がしてならない。というのは、12小節のディミヌエンドで十分音は弱くなっており、その後、17小節でピアノの指示がある。13~16小節がピアノなら敢えて17小節でピアノと明示する必要がないからである。
 春秋版は主旋律の部分にアクセントを表記しているが、デスト版ではアクセントではなく拍頭の16分音符に4分音符を重ねている。全音版では13小節と17小節だけ4分音符とアクセント両方が付いているが、他の小節ではアクセントだけとなっている。怠惰な全音編集者は4分音符を重ねるのを投げ出したのか。
 デスト版の4分音符を重ねるという表現は個人的にはかなり好んで使っている。音を保持するので、その分ペダルを踏む必要がなくなるからである。左手もベース音を保持してゴドフスキーの言うとおりに演奏すればほ主旋律の繋ぎの部分でしかペダルを踏む必要はなくなる。
 主旋律はオクターブで進行することになっているが、16分音符でずらされている。主旋律と中声部はある程度ずれても許されるが、オクターブの16分音符の関係は最初から最後まできっちり均質に並んでいないといけない。この部分が揃っていないと旋律線のタイミング、音価がバラバラになってしまうから。13~16小節は拍頭にアクセントをおいていればよいが、17~21小節はシンコペーションとなり、タイミングのズレが目立つためごまかしが効かない。
19~24小節はデスト版のアクセントの位置がとても参考になる。

16小節

 ☆右手後半部内声H-Eを2-4でとるようになっており、前の音の位置関係から弾きづらい。少し速度を落としてでも正確に弾くべき。ここで速度を落としても、続く17小節から雰囲気が変わるのでリテヌートした振りでごまかせる。

29小節~

 ここからクレッシェンドし続け、37小節でフォルテシモに至り、前半終了の40小節まで持ち込む。前半最後ということでテンションが上がる場面だけど、音量は上げても速度は上げずリテヌートの指示が出るまで一定に保つように。ちなみにデスト版にはリテヌートはない。

33~34小節

 ☆この部分で音が崩れやすい。C→Hを1→3で取るときに指をくぐらせるのに失敗するため。と、楽譜にメモしてあるのだけど、指くぐりで失敗とか初心者かよ。最終的にはちゃんと練習して引っかからないようにした。

35~40小節


 春秋社版は29小節で始まったクレッシェンドが35小節始めでフォルテとなり、36小節で更にクレッシェンドして37小節始めでスフォルツァンドのスタッカーティシモ、次いでフォルテシモとなる。
 一方デスト版は同じく29小節で始まったクレッシェンドが35小節でフォルテシモとなる。しかも力強くとある。その先は強弱の指定はなく、37小節に再度フォルテシモがあるだけで、中間部Bに雪崩れ込むようになっている。
 この部分、春秋社版の譜例に書き込んだようにデスト版を参考に勝手に音を増やしている。
 37~39小節前半にかけて左手はVの3和音をオクターブで下降し、右手は左手の4度上にアクセントを置きを装飾していく。
 39小節後半から40小節にかけて春秋、全音ではリテヌートの指示がある。リテヌートは「直ちに遅く」という意味だが、1小節半もかけて「直ちに」もあったもんじゃあない。それはそうと、この部分、次のLargoに向けてテンポを遅くしたくなる部分である。
 デスト版ではリテヌートの指示はなく、41小節からpiù lento「これまでより遅く」としか書いていない。

37~39小節


 *この3パターンを3回繰り返して下降する。右手の中声部の2音は2度の距離があるが、鍵盤上では3つとも位置関係が異なることに意識すること。1指はすぐにしないと、すぐ後に同じ音を2指で押すときに邪魔になる。
 デスト版では37小節で3つの塊を1フレーズとしてスラーリングしている。38小節には[同様に]と書いてある。"simile"の位置的に右手のアクセントに掛かっているのかと思われるが、左手のアクセントにも掛かっていることは間違いない。となると左手のスラーに掛かっていてもおかしくはない。矢張り、小節の区切りを排して3音ずつのフレーズで認識するのが正しいと思う。

41~42小節


 この2小節でAからBに移行する。
 春秋、全音では39~40小節でritenuto、41~42小節でLargo、43小節でModerato cantableとなっているのに対し、デスト版では41小節でpiù lento、42と43小節の境界でsostenuto(少しテンポを抑え気味に)となっている。
 春秋社版ではカッコつきのフォルテとピアノで示しているが、41小節でフォルテで弾き、この残響の中で42小節のピアノを弾く。
 デスト版では、符幹が上に向いている音を右手、下に向いている音を左手で弾くようにと書いてある。
 上で示した通り、Bはこのつなぎの2小節の後、主題と3回の変奏によって構成される。ここではそれぞれの変奏を①~④と表記する。

43~82小節
 中間部になるのだが、上の構成の部分で説明したとおり、8-12-12-8の繰り返しの構成になっている。一応、変奏曲の形態を取っているけどそれほどアレンジはない。少しずつ豪華になっていくけど、普通に聞き逃す程度でしかない。
 春秋、全音は①の終了部分50小節にリテヌートがあるが、デスト版には何も書いていない。
 中間部はついつい感傷的な表現をしたくなるけど節度を持って、なおかつ5回現れる主題が単調にならないように演奏しなければならない。メカニカルではない難しさがある。演奏者はこの中間部で、すべての音を歌謡的に表現するという“当然の義務”の他に、次のような配慮を持って演奏に臨まなければならない[4]

・多様なニュアンスを持つ音色を求める。
・極小のデュナーミクの中で、理にかなったフレージングをする。
・バスの音を明確にする。
デュナーミクアゴーギグについて、個々の繰り返しで異なった表現のコンセプトを確立する。

 テンポ・ルバートについては、以前子守歌の解説で説明したように、左手は終始一貫したテンポを保ち、右手でテンポを揺らして歌うという表現をしなければならない。ただし、上に述べたように50小節のリテヌートで減速する際はその限りではない。

43小節

 トリルが書いてあるけど、モルデントで演奏するとのこと。ショパンはよくモルデントで表記するべき場所でトリルを書くことがある。子犬のワルツの冒頭部分とか。
 ナショナルエディションにはit is much more likely that Chopin used them in such a context alternately to indicate a mordent.と書いてあり、ショパンはこういう場合、モルデントの方を好んで使ったらしい。
 僕の場合は、最初の1回はモルデントとして、2回目以降はだんだんトリルが長くなっていく。

45, 53, 65, 77小節

 変奏の様子を比較するために①~④を並べた。
 ①45小節は主題の提示に当たるため最も単純な形となっている。4拍目の付点の弾き方について、ショパンの解説するときはほぼ毎回説明することになるのだが、3連符と付点のリズムを同時に弾く場合、譜面通りの正確な演奏をするのではなく、下に示すように3音目と16分音符を合わせる。このことを知らない人が多くて困る。

 ②53小節は2拍目と3拍目の間に装飾が入る。
 ③65小節は4拍目の付点を止め、8分音符となる。これは正確なタイミングで弾く。
 ④77小節は音を増やした。ホロビッツの演奏からの耳コピ。装飾部分が弱音でもはっきり聞こえるようにできるだけペダルを踏まないように工夫した。左手アクセントの付いている拍頭の音を4分音符に伸ばし、保持している間はペダルを踏む必要はない。音の繋がりが切れないように、拍と拍の間になる部分だけペダルで繋いだ。

49,57, 69, 81小節

 デスト版には何が違うのかよく分からない変化がある。①だけは明確に音が違うけど、②~④は音価が違うとかスラーリングが違うといった間違い探しじみた違いしか見あたらなくて、聴いても違いは分かんないだろうなと見てて思う。

60,72小節

 ②では右手が7連符、左手が6連符となっている。6と7は互いに素なので拍頭の部分でしかタイミングは合わない。ゴドフスキーは右手最初の5音と後の2音で2つに分けている。譜面を見る限りでは右手Bと左手Fesが同じタイミングになっている。
 ③では音を増やした。これはシフラの演奏を耳コピしたものだけど、結構メジャーなアレンジのようで、ゴドフスキーバックハウスが似たようなアレンジを使っている。

83~118小節
 全音と春秋はPresto、デスト版は[Tempo I]となっている。[Tempo I]とはAllegro AgitatoのことなのでPtestoとは違う。Prestoの方が速い印象がある。
 後半の方を速く演奏したくなる気持ちはよく分かるけど、これはどうなんだろう。この曲の構成のバランス感覚から考えるとTempo Iの方が合っているように感じる。
 5~40小節と殆ど同じなので特に解説はしない。ただ、5~40小節と全く同じ演奏の繰り返しでは芸がないので何かしら違う表現が欲しいところではある。僕の場合は103~112小節の左手拍頭のベース音にアクセントを付けて演奏する。

119~138小節


 コーダに至ってようやく左手の6連符から解放される、と思いきやデスト版では相変わらず6連符が続いていた。デスト版のことは忘れて、春秋版を使って説明を続ける。
 6連符を止めたことでリズムを取りやすくなるのだが、右手がなかなか言うことを聞かず難儀する。左手のラインでリズムを取りながらそこに右手を合わせる。
 右手の5指で押さえる音が主旋律を構成するため、17~21小節のように正確なタイミングで弾かないと旋律が崩れる。

129~135小節

 旋律が左手に移るのだが、この旋律は中間部の主題である。臨時記号を使って変ニ長調の同じ音を表記している。

137~138小節

 最後。右手のGisだけがタイで繋がっていることに注意する。

 色々偉そうに書いてきたけど、これらの中に自分でクリアできていない課題が結構ある。
 録音はしたが、至らない点が多々あるので、もっと上手になったらまた録音するかもしれないし、もう二度と録音しないのかもしれない。

参考文献
[1]ジム・サムスン, ショパン 孤高の創造者, 春秋社(2012)
[2]下田幸二, 聴くために弾くためにショパン全曲解説, ショパン(1997)
[3]小坂祐子, フレデリック・ショパン全仕事, ARTES(2010)
[4]レギナ・スメンジャンカ, ショパンをどのように弾きますか?その答えを探してみましょう, yamaha(2009)
[5]ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル, 弟子から見たショパン そのピアノ教育法と演奏美学【増補・改訂版】, yamaha(2009)
[6]岡部玲子, ショパンの楽譜、どの版を選べばいいの?, ヤマハ(2015)