演奏解説 バッハ=ヘス 主よ、人の望みの喜びよ

 バッハは教会に勤めてた頃、毎週カンタータを書いていた。今回説明するのはその中でも特に有名なカンタータ第147番「心と口と行いと生きざまをもて」から、第1部と第2部の最後の曲。出だしの歌詞"Jesus bleibet meine Freude(主よ、人の望みの喜びよ)"を曲名としている。こういった曲名のない歌の冒頭の数語の歌詞をインキピットと呼び、曲名の代わりに使用する。
 原曲はコラールなんだけどマイラ・ヘスによるピアノアレンジが超有名。他にも色んなアレンジがあるけど、どうでもいいや。
 僕は全音版しか持っていないんだけど、楽譜を見ると指番号が全く書いていなくて非常に不親切。譜読みのハードルが高くなってる。とはいえ、同じフレーズが繰り返し登場するため、それぞれの違いを弁えさえすればそれほどツライものではない。
 よく似たフレーズばかりで構成されているため、暗譜で弾くと自分がどこを弾いているのか分からなくて迷子になることがある。特に漫然と弾いているとそうなりやすい傾向にある。今、楽譜のどの部分か意識しながら演奏するとか、ポイント毎にフラグを設定して通過するごとに確認するとかすれば迷うことはないけど、真面目に練習してると、自然に迷わなくなってくる。
 後述するようにいくらか演奏する上でのポイントがあるのだけど、それらを踏まえた上で最終的に一定のテンポで演奏するというのが最難関となる。古典派以前の曲はテンポを一定に保たないと誤魔化しがきかない。
 3/4拍子なのだが、上段が(9/8拍子)と括弧付きで示してあるが、楽譜を見ての通り。3連符ではなく敢えて8分音符として表示している。どんな意図があるか知らないが、書きやすいように書いたんだと思う。見ての通りなのだから、あまり深く考えても仕方がない。
 全体を通してペダルは特に指示がない限り、コードの変化に従って踏み換える。


1-7小節
 この曲の主題となる部分。この音型が殆ど同じ状態で4回出てくる。


2小節目

 括弧が付いている音は省略してもよいと書いてある。このタイプの音は今後何度も出てくるが皆同じ。左手がオクターブを押さえその1オクターブ上にこの省略する音が来る。そして、5度上と10度上が来る。
 この部分を弾く方法が4パターンある。
①省略する。E音はこの音の他、1オクターブ下と2オクターブ下で出しているため、この音を省略したところで殆ど変わらない。演奏効果は全く変わらない。つまり、この音を取ることは労多くして功少なしと断言できる。
②真面目に弾く。少なくとも横からでも10度を掴める大きさの手が必要になる。努力でどうにかなる部分ではないので届かない人は潔く諦めること。括弧の音は右手1指で取り、5度上を2指、10度上を5指で取る。僕はなんとか横から掴めるけど、修行が足らないせいかまだ頻繁に外す。ただし、全て外さずにコンプリートしたときの自己満足度は結構なもの。音楽自体に殆ど変化がない以上、この音を取るのはあくまで自己満足とするべき。この10度を押さえる瞬間だけものすごい集中することによりミスタッチ率を僅かに下げることができる。ただし、人間は集中の度合いにより時間の流れる速度が異なって感じられるため注意が必要。練習しまくれば僅かの集中で外さなくなるのかなぁ。
③分散して取る。折衷案。意外に難しいのは旋律が右手の一番上の音なので、旋律のラインを崩さずに弾こうとすると本来よりも早いタイミングでE、Hを順に押さえ、正しいタイミングでGを押さえる必要がある。これがなかなか上手くいかず結構タイミングがずれる。すると、テンポがずれることになる。また、ペダル踏み替えのタイミングと重なるわけだが、ペダルを踏み換えるのはGを押した瞬間になる。このとき、10度下のEからは必ず指が離れている。なので、折角押したEをペダルで引っ張ることができない。これを防ぐためにはハーフペダルでEを引っ張って来るというのもありだが、すると今度はそれ以前の音まで引っ張ってくることになる。
④分散して取る。③とは違い、分散するけどEを離さずに押さえたままにする。③と①との折衷案のような感じ。③で分散することのデメリットの一つとして折角Eを押してもすぐに離してしまい、その後にペダルを踏み換えるため全く引っ張ることができないという点を克服できる。それと同時に②よりも僅かばかり弾きやすい。10度を横から掴むことを前提に離させていただくが、②だと1、5指が両方とも正しい位置にないと隣のキーを押したり、あるいはキーを押せなかったりという事態が発生する。しかし、この方法をとると、始めに押さえるEはまず外すことはない。次に5度上のHは問題ないとして、10度上のGだが、これを押さえるときは始めにEを押さえたときよりも手全体を右側に持って行くことができる。というのはEを押さえた1指はキーが上に上がらないように押さえておくだけなので、指先をEのキーに引っかける位置まで移動することができる。そうするとだいぶ余裕を持ってGを押さえることが可能になる。場合によっては横からではなく上からでも押さえることが可能になったりする。とはいっても③のもう一つのデメリットであるテンポがずれるという点に関しては対応できない。


3小節目

 括弧内の音を弾く場合、始めの右手の旋律部分(CDE)は545で取る。


5小節目

 左手10度は分散するようになっているが、僕は特に意味もなく譜例のように弄ってる。ホントに意味はないので何の参考にもならない。後に3回同じ部分が登場するが全部このように弾いている。


9-16小節

 バッハのオリジナルだとここから歌が入る。譜例のように"Cantando il tenore"と書いてある。イタリア語っぽいけど、何語で書いてあっても大抵は読めない。ここは多分「テノールを歌わせろ」とかいう意味だと思う。主旋律となるテノールの部分にテヌートが付いてる。テノールを主張するならアクセントにしたらよいのだけど、そうはせず一応メゾフォルテとしつつも敢えてテヌートによる音色で主旋律であることを強調するという高等技術を要求している。大抵は「どうせペダル踏みまくってんだし違いなんてわかんねーよ」となる。僕の場合はアクセントだけにしている。ちなみに手元にある録音を聞いてみると、編曲者のヘスを含めどいつもこいつもアクセントで強調している。
 9小節の最初の音。見ての通りちゃんと弾くには手が3本いる。どう弾くかというと、右手は上の音を掴んでおけばいいんだけど、左手で下のGのオクターブを叩いてすぐに真ん中のHDを叩く。この技法はブラームスとかラフマニノフとかブゾーニとかがよく使ってる気がする。
 ただし、この部分にかんしては2パターンの弾き方、というかタイミングがある。
①下のGのオクターブを直前に弾いて真ん中のHDを正規のタイミングに合わせる。
②下のGのオクターブを正規のタイミングに弾いて真ん中のHDを遅らせて弾く。
 断然①がおすすめなのだが、8小節を見るとわざわざペダルの指示がある。つまり、9小節の頭でペダルを踏み換えることになる。すると、直前に弾いたGのオクターブが消えてしまうことになる。勿論この重要な音を消すわけにはいかない。ここで、8小節を見ると9小節の頭とコードが同じだということに気付く。つまり、ちょっとくらいペダルをごまかしたところで気付きようがない。答えをいってしまうと、9小節の直前でGのオクターブを弾くタイミングでペダルを踏み換える。ただし、完全にペダルを離すのではなくハーフペダルまでにする。これで余分に響く分はある程度殺してしまい円満解決となる。
 9-16小節のテノールアクセントの仕方について。和音を弾いたときにその中のひとつの音だけにアクセントを付けるという場合、その音が345指で、且つ和音の端っこの音だと簡単にアクセントを付けられるのだけど、こでは全て12指のどちらかとなっておりとてもやりにくい。どうやって弾いたらいいのかと悩み試行錯誤する問題となる。
 9小節目の頭とそれ以外に分けられる。どういうことかというと、9小節目の頭だけ12指で掴み、2にアクセントがある。他は12指のどちらかだが、いずれも和音の端っことなっている。つまり、2指にアクセントがある場合は1指はフリーになっている。
 というわけで9小節の頭。12指で押さえるのだが、2指を少しだけ1指よりも長く出しておき、腕全体を鍵盤に落とす。すると、2指で押した方の音が強くなる。腕の位置エネルギーが殆ど2指で押したキーに持っていかれるためそうなる。
 次に、その他の音のアクセント。どれも右端のキーになるので、アクセントしたいときには右側に体重をかけてキーを押すと右側の音が強く出る。


15小節

 これまでさんざん旋律線がどうとかタイミングがどうとかこだわっている振りをしていたのだけど、実は全然どうでもよかったということがここで発覚する。ただし、テンポだけは保つこと。
 最初の左手の10度。これは分散させて弾く。しかも、タイミングはHに合わせて。なので、アクセントするべきDが旋律のラインから外れることになる。分散させることによりアクセントがとてもしやすくなる。というか、コレ分散させずにアクセントするって無理だよ。10度なんて押さえるのがやっとだし。


17-23小節

 17-23小節は17小節の最初の1音を除き1-7小節と同じ。


24-31小節
 9-26小節とよく似ているが色々と異なっている。

 "Cantando il Soprano"とあるようにソプラノにアクセントがある。また、主旋律のソプラノがピアノでそれ以外がピアニッシモとなっている。つまり、9-26よりかなり弱く演奏することになる。この部分をまともに表現しているピアニストは滅多にいなかったりする。
 重要なのがこの2点で、他にも細々とした違いがある。左右の手の振り分けは置いておいて、音だけ追っていく。
 まず最初の音。9小節に存在した一番上のGが24小節にはない。9小節のときのような小細工を労すことなく何事もなく押さえることができる音の配置となっている。


29-31小節

 29-31小節は1オクターブ上の音にアクセントが付いている。そのため、14-16小節で主旋律の1オクターブ上に音が内部分は音が追加されている。ユニゾンで且つソプラノを響かせることになるが、そうなると31小節の16分音符をきれいに揃えるのが難しい。この曲の前半ではよく練習しなければならないポイント。


32-38小節
 3回目の主題。17-23小節とほぼ同じ。違うのは32小節最初の音、Gのオクターブが2分音符に変わっているだけ。


39小節
 8小節と似ているけど、次の小節へのコード進行が異なるため、コードの繋ぎの関係で色々と違っている。


40小節-
 ここから新展開に入るんだけど、基本的に主題の変奏なので、どこからどこまでという区切りを付けるのは難しいしあまり意味がない。
 40〜43小節は中声部にアクセントがあることに注意。この音を鳴らすのは結構ムズイ。
 39小節からクレッシェンドして40小節で"poco f"とあり、45小節で更にクレッシェンド、46小節でフォルテになる。46-49小節が山場となり、50,51小節でデクレッシェンド。そして、52小節でmpに戻る。


41小節

 三連符と8分音符が同時に登場する。この曲のテンポなら三連符の間に8分音符を正確にねじ込まなければならない。始めはゆっくり、正確に弾けるようになったら正規のテンポで弾けばよい。すぐにできるようになると思うよ。

42小節

 最初の音は左手で下のDのオクターブ、右手でAHDFを同時に押さえる。右手は1235で押さえるのだが、2指で抑えるHにはアクセントが付いているので厄介。
 この部分は、キーを押さえるとき、2指だけ他の指よりも付きだした形にして少し強めに押す。すると、腕が持っていた運動エネルギーがHキーに優先的に伝わり、次いで他の3本の指が同時にキーに触れることで残りの運動エネルギーが3つに分散して伝わる。エネルギーの減少に対して、音の聞こえ方は対数関数的な減少を示すので、H音に比べたの3音はわずかに弱い音に聞こえる。力の加減が難しいのだけど、この弾き方をする場合は、キーに力を伝え始めたら力を抜いて、後から余計な力のかからないようにすること。でなければ、他の3音もHと同じように鳴ってしまう。
 勿論、技術のある人は上記のような苦し紛れの小細工などなしに、2指だけ独立して強く弾けばいいんじゃあないかと思う。


46-49小節

 この4小節がこの曲唯一のフォルテ。それなりに強く弾かなければならないけど、内声付きのオクターブは力一杯弾くと暴走しやすいので丁寧に。
 ソプラノにアクセントが付いているが、48小節の最初のDには何故かアクセントが付けられていない。多分、記述漏れだと思う。他の楽譜だとどうなんだろ?
 47小節目の後半、指使いに125とかいてあるけど、135の間違い。


49-50小節

 49小節の最後はアクセントがなくなっている、そして50小節始めにデクレッシェンドがある。ということは、実質的に49小節の3拍目から音量は小さくなることになる。従って49小節の3小節目で音量を小さくして、且つデクレッシェンドを始めるように演奏する。最終的に52小節でメゾピアノに落ち着く。


52-59小節
 テノールにアクセント。52-55小節は新規に登場するフレーズ。どこも同じように聞こえるこの曲に於いては全然新鮮みはないけど。ここで体裁を整えて、56小節に突入する。56-59処す越は13-17小節と音は一致する。ただし58-59小節にかけてデクレッシェンドとなっている。勿論次に繋げるため。


60-63小節

 左手のGのオクターブはペダルで引っ張って内声部を左手で取るようにとなっている。63小節目ではハーフペダルにしろとある。ハーフペダルにするのは63小節最初のEが後々邪魔になってくるからハーフペダルで少し散らしてしまおうという魂胆だと思われる。そもそも何でこんな所にEがあるのか謎なんだけど。
 僕の場合はこの指示を完全に無視して、63小節最初のEを除いて全て右手で取る。左手はGのオクターブを押したまま放置。それで、あんまり音が響きすぎないように適当にペダルを踏み換える。63小節のEだけは左手で取る。このEを押さえた後、左手は直ちにGに戻すのだけど、このとき音を出さずにダンパーを上げるだけの強さでGのオクターブを押す。すると、その後ペダルを踏み換えてもGが保持される。


64小節-最後
 コーダは主題部を再現して終わる。1-7小節と違うのは最初の音とppっていう点。あと、最後にフェルマータが付いているので、70小節の最後を僅かに遅くしてもよい。